野球の世界大会「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」が3月5日にいよいよ開幕。侍ジャパンは3月6日に、台湾との1次ラウンド初戦(東京ドーム)を迎える。3月7日は韓国戦、8日がオーストラリア戦、10日にチェコ戦が待ち受ける。1次ラウ...
記事全文を読む→百恵と淳子、「親友を装っている」の中傷
ベトナム戦争が終結し、オイルショックが勃発した73年──不安な世相に、二輪の可憐な花が咲いた。それはまるで、殺伐とした人々の心をやわらげるため、空から舞い降りた〈天女〉のようであった。桜田淳子と山口百恵の2人は、初めからスターとしての宿命を背負っていたのだ。
林寛子は「スター誕生!」(日本テレビ)という番組を“大きな幹”ととらえた。桜田淳子や山口百恵など、圧倒的な数のスターを生んできたからだ。
「それに比べたら私たちは“枝葉”の番組だったかもしれません。そこで私は運よく第1回のグランドチャンピオンになりましたが、あの番組に太刀打ちできるほどのスターは出てきませんでしたね」
「スタ誕」の成功を受け、各局がスカウト番組を独自に始めた。フジテレビは林寛子や石川ひとみを見出した「君こそスターだ!」(73年~80年)を、テレビ朝日はあいざき進也を獲得した「あなたならOK!」(73年)や、岡田奈々が出た「あなたをスターに!」(75年)である。
いずれも「スタ誕」ほどの人気を得ることはなく、テレビ史の闇に消えてしまった感がある。ただし、各局が門戸を開いたことにより、楽屋の風景は一変した。
同じ70年代アイドルでも初期の頃は天地真理や南沙織ら20歳前後が多かった。それが70年代半ばになると「中3トリオ」を契機に、中学生や高校生がアイドルの主流となる。
百恵や淳子から1年遅れて74年に歌手デビューした林寛子は、まるで“放課後”のようなひとときをテレビ局で過ごした。
「TBSの『せんみつ・湯原ドット30』で、よく百恵ちゃんと同じ楽屋になりましたね。私より1つ上の学年だったんですけど、レポートの提出とか英単語を憶える段になると『やってる?』って言いながら見てくれました。私にとっては“面倒見のいいお姉さん”でした」
器用だった林は、当時のものまね番組で何度も優勝している。そのレパートリーの1つに淳子があり、本人の目の前で「わたしの青い鳥」を歌ってはアドバイスをもらった。
「淳子さんは『やめてよ~』と言いながら、すごく楽しそうにチェックしてくれました」
百恵と淳子もまた、中学3年のある時期、同じ校舎で机を並べた。林間学校にも一緒に出かけ、かけがえのない“青春前期”を共有している。
ただし、周囲のライバル視は、2人の友情に少しずつ影を落とす。百恵の引退直前に出版され、200万部を超すベストセラーになった「蒼い時」には、こうした苦悩がつぶさに描かれている。
〈マスコミは一様に私たちをライバル視しはじめていた。そのことに抵抗すべく、さらに親しくしていると「親友を装っている」と言われてしまった。
「気にするの、よそうね」と言いながらも、やはり周りには勝てなかった。やがて彼女には彼女の世界ができ、それは私のその世界とは接点のないものになってしまった〉
百恵は「お互いに気を配りすぎての結果」と分析している。こうしたわだかまりが氷解したのは、百恵が引退を発表してのことだった。淳子が電話をかけ「これからが本当の友達」と告げている‥‥。
アサ芸チョイス
日本にも「バベルの塔」が実在していたことを知っているだろうか。バベルの塔は「旧約聖書」の「創世記」に登場する、人間が天に届く塔を築こうとして神の怒りに触れ、破壊されてしまった伝説の塔である。「馬鹿と煙は高いところに登る」という言葉があるが、...
記事全文を読む→スマホの通知に追われる日常から、少し距離を置く。そんな「デジタルデトックス」では、若者が編み物や日記、フィルムカメラといったアナログ趣味にハマるケースが報告されているが、この流れは中年層にもじわじわと波及している。その背景にあるのは、仕事で...
記事全文を読む→音楽ライブチケットの高額転売をめぐり、旧ジャニーズ事務所の人気アイドルが所属するSTARTO ENTERTAINMENTのライブ主催会社が、転売サイト大手「チケット流通センター」の運営会社と、高額転売を繰り返したとされる東京都内の男性1人を...
記事全文を読む→
