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記事全文を読む→百恵と淳子、モモさんと「ひとつ屋根の下」
73年2月25日、今から40年前に桜田淳子は「天使」のイメージでデビュー。その3カ月後の5月21日、「人にめざめる14才」のコピーで山口百恵も続く。前年にデビューした森昌子と合わさって「花の中3トリオ」が生まれ、芸能界の可憐な活性剤となった──。百恵と淳子に交差する森昌子が、かけがえのない友への思いを語りかける。
71年10月3日に始まった「スター誕生!」(日本テレビ)は、企画した阿久悠や池田文雄プロデューサーの思いをよそに、最初のスターにたどり着けずにいた。番組のコンセプトも定まらず、どんな素材を推すべきか模索が続く。
ここに登場したのが13歳の森昌子だった。幼い頃から引っ込み思案の性格で、歌は好きだが歌手になるとは夢にも思わなかったと昌子は言う。
「親戚に『中学入学のお祝いにデパート行こう』と言われて、行ってみたら『スタ誕』の予選会場だったんですね。それから2次予選まで行って、気がついたらテレビで歌っていました」
阿久悠が晩年に、予選の昌子を見た瞬間の感想を伝えている。
「こいつだ! この方向だ。若年層を狙うんだ!」
番組のコンセプトが固まり、翌72年にデビューした昌子の「せんせい」が50万枚を超える大ヒットを記録したこともあって、応募者の年齢が一気に若くなる。そして続いたのが桜田淳子だが、昌子も予選から注目していた。
「ダイヤモンドの原石ってこういうものなのか、彼女は絶対に受かるなって理屈抜きに思いました」
昌子が新人賞を立て続けに受賞した72年の暮れ、三本目の矢として「スタ誕」の決戦大会を制したのが山口百恵である。20社のプラカードから百恵が所属先に決めたのは、昌子と同じホリプロであった。
さらに年が明けてすぐに、堀威夫社長(当時)から“指令”を受けた。
「昌子、悪いけどしばらく百恵を下宿させてくれ」
まだホリプロにタレント寮がなく、横須賀に住む百恵を港区に住む昌子の家に住まわせたのである。さらに昌子の仕事先にも「付き人」のような形で勉強のため同行させた。
「私は一人っ子だったから、姉妹ができたみたいですごくうれしかった。私の四畳半の部屋に百恵ちゃんと2人、ずっと夜中もおしゃべりしていました」
芸能界では昌子のほうが先輩だが、すぐに百恵が「頼れる存在」となった。昌子は百恵のオーラに「守られている」という感覚を持ち、やがて「モモさん」と呼ぶようになった。
「あの年齢で人の家に住みこむのは、私だったら無理。モモさんはそれだけでもすごい。40日くらい同居してましたけど、すごく楽しかったですね」
昌子のデビュー当時はまわりが年上の歌手ばかりで、楽屋でもポツンとしていることが多かった。そこに淳子や百恵が、さらに同世代の歌手が次々とデビューし、楽屋が花ざかりになっていく。
やがて「スタ誕」のさらなる目玉として、3人を「花の中3トリオ」と命名するようになった。
「正直、不思議な名前だなって思ったんです。中3トリオって‥‥そのままというか、間違ってはいないですけど、それぞれの名前をつけてもいいのにって思ってました」
その違和感はほどなく消え、仲のいいトリオは歌謡界の中枢へ駆け上がっていった。
アサ芸チョイス
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