「日本の歴史を変えたんじゃないか。とんでもない力、ご利益が善光寺にはある」YouTubeチャンネル〈島田秀平のお開運巡り〉で力強く断言するのは、手相占い師でタレントの島田秀平である。パワースポットとして知られる長野県長野市に鎮座する善光寺の...
記事全文を読む→武田信玄
鳥居三左衛門という名もなき武士が、日本史を大きく変えた。上杉謙信との川中島の合戦で有名な武田信玄は、元亀4年4月12日(1573年5月13日)、53歳で死去した。だが、その死因はハッキリとは分かっていない。肺結核説が有力だが、実は狙撃によっ...
記事全文を読む→甲斐・武田氏の戦略・戦術が示された軍学書「甲陽軍鑑」には「謙信秘蔵の侍大将のうち、甘粕近江守はかしら也」と記されている。あまりの戦上手に軍神・上杉謙信と間違われた武将、上杉四天王の一人である甘粕景持のことだ。その出自は謎で、生年もよく分かっ...
記事全文を読む→戦を勝ち抜いていかねば、その勇名が後世にまで轟くことはない。それは天下取りに絡んだ織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の〝三英傑〟を見れば明らかである。しかし、「真の戦巧者」となると、かの三英傑よりも上手がいたようで‥‥。今回、アサ芸が取材した歴史...
記事全文を読む→まずは、八重野氏の挙げた4つの伝説について掘り下げてみよう。まず「天草四郎の秘宝」は、1637年に蜂起した「島原の乱」に由来する。天草四郎が一揆を率いて幕府軍に敗れた後、その残党が金の十字架や金銀の燭台などキリシタンの宝器類を海に沈めたとい...
記事全文を読む→荒川伊豆守長実という戦国時代の武将がいる。別名・垂水源二郎という。上杉家代々の家臣で、現在の新潟県村上市荒川地区にあたる荒川保の領主だ。後に越後十七将となった人物だが、あの上杉謙信の影武者だったともいわれている。この荒川伊豆守の奮闘が、いつ...
記事全文を読む→現代でもあまりにできすぎる部下は、上司にニラまれる。だが、戦国乱世の頃には、命まで奪われることもあった。加藤段蔵という忍者、幻術使いだ。段蔵は江戸時代に流行した軍記物などに「とび加藤」「鳶加藤」「飛加藤」などの名前で登場し、大ブレイクしたが...
記事全文を読む→武田信玄の重臣に「不死身の鬼美濃」と恐れられた猛将がいる。天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死したが、それまでは40年間、70回以上の戦いで一度も傷を負ったことがないと言われる猛将・馬場美濃守信春だ。信春は教来石(きょうらいし)遠江守信...
記事全文を読む→熟年サラリーマンは仕事でも私生活でもストレスをため込んでいる。群雄割拠の中、生き残りをかけ、戦に明け暮れた戦国武将たちが遺した言葉には、「会社と仕事」「上司と部下」など現代人の心に刺さる警句に満ちている。武将たちに学ぶ、現代を生き抜く言葉の...
記事全文を読む→戦国時代でも特に有名な合戦が、武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」だ。これまで、川中島では計5回、信玄と謙信が矛を交えたとされてきたが、戦いは一度きりだったと、大石氏が明かす。「5回というのは、『甲陽軍艦』などの武田方に残された史料に基...
記事全文を読む→古今東西の英雄が「色を好む」ことはつとに知られているが、彼らのパワーの元は食。その食の中でも、これから旬を迎える牡蠣こそが、多くの英雄たちのスタミナを支えた最強の食物だった!紀元前の古代ローマ時代から養殖もされていた牡蠣。牡蠣を食べると精が...
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