気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...
記事全文を読む→武田信玄を狙撃した名もなき武士…日本史を大きく変えた「一発の銃弾」
鳥居三左衛門という名もなき武士が、日本史を大きく変えた。
上杉謙信との川中島の合戦で有名な武田信玄は、元亀4年4月12日(1573年5月13日)、53歳で死去した。だが、その死因はハッキリとは分かっていない。肺結核説が有力だが、実は狙撃によって生じた傷が原因で命を落とした、という話がある。
信玄を狙撃したのは、徳川家康に仕えた三河の野田城(現在の愛知県新城市)城主・菅沼定盈の配下・鳥居三左衛門だという。鉄砲の名手だったという以外は、いっさいのプロフィールは分かっていない。
信玄は元亀4年、京都に上洛するため西上作戦を開始し、三方ケ原の合戦で徳川家康軍を完膚なきまでに打ちのめした。2万5000人の大軍はそのまま、城兵わずか400人が守る野田城を攻撃したが、相手の士気が高く、激しく抵抗された。力攻めではダメだと判断した信玄は地元・甲斐の金山から掘り手の金山衆を呼び寄せ、水脈を切って城内の井戸水を枯らす作戦をとったという。
約1カ月が過ぎたある日、野田城内に笛の音が流れた。音の主は「小笛芳休」といわれた、伊勢国山田(三重県伊勢市)出身の村松芳休という人物だった。見事な笛の音を近くで聞こうと、信玄が城の堀の向こう側にある崖に、数本の竹と紙で簡単な陣幕を作ったことが命取りになった。
城内からは陣幕内に誰が陣取っているのは分からない。それでも名のある武将ではないかと考えた三左衛門は、手にした鉄砲を陣幕の中心に向かって一発ぶっ放した。銃弾は見事に信玄の左頬を貫通した。
以前からの持病の悪化で喀血と高熱に苦しめられていた上に、銃撃で重傷を負った信玄はもう限界だった。野田城は陥落させたが西上を中止し、三河の長篠(愛知県新城市長篠)の鳳来寺でしばらく待機。その後、甲斐に戻る途中の三州街道上の信濃の国駒場の宿で、死亡したという。
銃弾が当たらなければ、信玄はそのまま西上。徳川家康、織田信長を滅ばし、天下を取っていたかもしれない。一発の銃弾が歴史を大きく変えたのである。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
胃の調子が悪い─。食べすぎや飲みすぎ、ストレス、ウイルス感染など様々な原因が考えられるが、季節も大きく関係している。春は、朝から昼、昼から夜と1日の中の寒暖差が大きく変動するため胃腸の働きをコントロールしている自律神経のバランスが乱れやすく...
記事全文を読む→気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...
記事全文を読む→急激な気温上昇で体がだるい、何となく気持ちが落ち込む─。もしかしたら「夏ウツ」かもしれない。ウツは季節を問わず1年を通して発症する。冬や春に発症する場合、過眠や過食を伴うことが多いが、夏ウツは不眠や食欲減退が現れることが特徴だ。加えて、不安...
記事全文を読む→