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記事全文を読む→百恵と淳子、身を削って提供された作品
桜田淳子と山口百恵が活躍した70年代には、すぐれた歌の作り手もまた、数多かった。従来からの「職業作詞家・作曲家」がキャリアを見せつければ、ここに気鋭の「シンガーソングライター」もまた、新風を吹き込む。相乗効果は、2人にさらなる輝きをもたらした─。
桜田淳子の初代ディレクターであるビクター・谷田郷士は、中島みゆきのもとを訪ねていた。73年のデビューから4年が経過し、これで淳子との仕事はひとくくりとなる。
みゆきへの依頼は、淳子への置き土産として“これまでと違う歌世界”を見せたかったからだ。
「私もいろいろ作っていますが、簡単じゃないんですよ。1曲を作るのにベッドを5回も6回もグルグルしてるんだから」
みゆきらしい表現で曲作りの苦悩を口にする。それでも、了承した彼女は2曲の書き下ろしを谷田のもとへ届けた。谷田は、まるで違う曲調ながら、いずれも高いドラマ性であることに驚いた。
「どちらかを落とすことなどできず、シングルのA面で連続リリースという形になりました」
前者が「しあわせ芝居」(77年11月)、後者が「追いかけてヨコハマ」(78年2月)である。77年のみゆきは、自身の「わかれうた」(9月)が初めてチャート1位に輝くなど、才能が泉のようにあふれていた時期だったのだ。
その「しあわせ芝居」の発売から数日後、筆者は目の前で歌を聴いた。熊本・天草の市民体育館で行われた淳子のショーで、中1からの念願がかない、本人を見ることができた。テレビで観るよりもさらに脚が細く、整ったバストラインに目を奪われた。
「皆〜、私の新曲、もう聴いてくれた?」
その問いかけに、筆者と同じ男子高校生たちの返事が地響きを立てる。歌が始まってからも、せつないバラードであるにもかかわらず、その熱狂が続く。
淳子にとって3番目に高いセールスを誇った曲であり、大人の歌手へ歩を進めた瞬間だった。
翌78年には同じ会場で山口百恵の公演を観た。この年の紅白で史上最年少の赤組トリを務めるほどの活躍を見せていたが、原動力となったのは阿木燿子・宇崎竜童のコンビだ。78年も「プレイバックPart2」(5月)を筆頭に、立て続けに夫婦で作品を提供しているが─、
「見てよ、ここ、円形脱毛症になってるでしょ?」
宇崎は、百恵のレコードディレクターである川瀬泰雄にそう言いながら後頭部を見せたこともあった。
川瀬はプロデューサー・酒井政利の飛躍した発想─たとえば「口パクで歌わない歌」とか「ケロケロってテープが戻るような曲」を音楽的に構築し、イメージを固めてから宇崎らに発注していた。
「こちらで作っているイメージに沿ってもらうために、宇崎さんにも何度もダメ出しをし、手直しをしてもらった。精神的にずいぶんと追い込んだことは間違いなかったですね」
ベッドでのたうち、髪が一時的に抜けながら、2人の少女のために「身を削った作品」が重ねられていた‥‥。
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