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記事全文を読む→ザ・ベストテン「視聴率40%の伝説」(7)「ルミ子は大ヒットを確信した」
厳正なるランキングのもと、10代の新人もベテランの歌姫も、自作自演のアーティストも一堂に会する。それが「ザ・ベストテン」の混沌とした魅力だった。歌手としてのキャリアや方向性が違っていても「同じ土俵」に変わりはなく、それゆえに生まれる連帯感もあった──。
ピンク・レディーの復活ツアーが全国を超満員に埋めたのは03年のこと。このステージの美術を担当したのは、長らく「ザ・ベストテン」の美術チーフを務めた三原康博である。
番組のスタート時は“ピンク旋風”の真っただ中にあり、78年1月19日の第1回オンエアで1位に輝いたのは「UFO」(77年12月)だった。
「あの頃はどうだった?」
ツアーの準備の合間に、三原はピンクの2人に聞いてみた。ところが、返ってきたのは意外な答えだ。
「それが‥‥何も憶えていないんです」
4年ほど続いた殺人的なスケジュールに、記憶がごっそりと抜け落ちているという。そんなピンクとベストテンのタッグが世を騒然とさせたのは、曲名の「透明人間」78年9月)さながらに2人を消し去った場面である。
今ならCGで瞬時に操作できるが、78年当時に「生放送で歌っている者」を消すのは、技術陣の奮闘だったと三原は言う。
「クロマキー合成を使って彼女たちを消せないかと技術に持ちかけ、生放送だから緊張しちゃってたけど、みごとにピンクを消してみせたよね」
さらに三原は、この技術を八神純子の「パープルタウン」(80年7月)で発展させた。ピアノを弾きながら歌う八神のバックに、街の看板を描くかのように男がブルーの色をハケで塗ってゆく。映像を合成するためのブルーバックが完成し、最後にはそこに映像が映るという仕掛けである。
「ソファーでくつろぐ八神とジュリーの写真をあらかじめ撮っておいて、歌っている2分の間に、それが再現されるようにしたんだ」
八神の透明感あふれる歌声が大好きだという三原は、美術にも一段と力が入ったと回想する。
さて、記念すべき第1回の頂点はピンク・レディーだったが、その前週にオンエアされた「ベストテン前夜祭」のオープニングを飾ったのが小柳ルミ子である。新御三家(西城秀樹・野口五郎・郷ひろみ)をしたがえ、ピンキー&キラーズの「恋の季節」を歌った。
ただし、皮肉なことに番組の開始とともにルミ子はヒットチャートから遠ざかる。デビュー曲の「わたしの城下町」や、翌年の「瀬戸の花嫁」、番組が始まる前年にも「星の砂」で1位を記録しているが、78年からパタリと途絶えた。
そして83年、文字どおり起死回生のヒットとなったのが「お久しぶりね」(83年7月)である。杉本真人の作詞・作曲であり、ルミ子は“大ヒットの予感”に包まれたという。
「彼が歌ったデモテープを聴いた瞬間、あっ、この歌は当たると確信しましたね。長らく歌っていると、売れる売れないがわかりますが、これはおいしいメロディラインだなって思いました」
世はカラオケブームの最中であることもヒットに拍車をかけた。この曲のバックコーラスは、歌がうまいことで有名なルミ子のマネジャーが務めており、心地よいチームワークを演出する。また杉本とは「今さらジロー」など三部作で楽曲を依頼した。
「彼は、あの三部作で御殿が建ったって冗談で言うんですよ。私に『ルミ子に俺の命を拾われた』とも」
84年2月16日、その日のベストテンで、ルミ子は無上の喜びに包まれる──。
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