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記事全文を読む→五代目福博会が「継承式」を挙行!六代目山口組・竹内若頭が駆けつけた「深淵なる理由」(2)山口組執行部の「新外交戦略」
五代目福博会にとって、今回の儀式へのバックアップは心強さを感じさせたのではないか。合田一家はもちろんのこと、六代目山口組から竹内若頭のみならず、九州地区の最高幹部2人が列席したのだから。
もとより福博会は創設時から山口組と深いつながりを有していた。源流となる「福博睦会」は博多地区の組織が加盟する親睦団体として85年に発足した。その大同団結を呼びかけたのが、当時は福岡で唯一の山口組直参だった初代伊豆組・伊豆健児組長であった。
平成に入るとヤクザ社会では大組織の寡占化が進み、その情勢に対応すべく福博睦会の加盟団体は代紋を統一し、連合体組織「福博連合」を旗揚げする。その際、山菱の代紋を背負う伊豆組は行動をともにすることはせず、伊豆組長が顧問という形で側面支援に回った。さらに、福博連合は組織改革に乗り出し、92年に横並びの連合体を発展的解消させ、梅津明初代会長を頂点とする現在の「福博会」へと生まれ変わった。
組織体が変化しても山口組との関係は不変だった。93年に伊豆組長が死去すると、福博会・梅津会長が五代目山口組・渡辺芳則組長の代紋違いの舎弟となり、正式な親戚関係を結ぶ。97年に梅津会長が死去し、跡目を巡って内部対立が表面化した時は山口組が説得し、98年に渡辺五代目を後見人とする二代目福博会・和田将志郎会長が誕生。05年に六代目山口組が発足すると、司組長が和田会長の後見を引き継いだ。翌06年には、福博会で代目継承があり、三代目となった長岡寅夫会長の後見人を当時の山口組若頭である髙山清司相談役が務める。20年の金城四代目会長襲名でも髙山相談役が後見人となった。
両組織の40年以上に及ぶ密接な関係が、竹内若頭をして今回の継承式に駆けつけさせたのは間違いない。だが、地元関係者は「そのほかにも深い理由がある」と見ている。
「15年の分裂時、六代目山口組の親戚友好団体の中には、ヤクザ社会では許されないタブーを犯した神戸山口組(井上邦雄組長)側と個人的な交誼で揺れ動いた。それが原因で内部対立を生み、分派した組織もあれば、六代目山口組から親戚関係の断絶を言い渡された組織もあった。しかし、福博会はブレることなく一貫して六代目山口組を支持した。それは、今回の式場を提供した合田一家も同じで、信義を重んじた親戚団体を大事にしようという竹内若頭を中心にした執行部が判断して、継承式に列席したのではないか。それは分裂で揺らいだヤクザ業界における信頼を六代目山口組が取り戻すことにもつながっているはずだ」
分裂抗争に終止符を打ってから1年、竹内若頭が親戚団体を訪れる機会は増えるばかり。六代目山口組の新たな“外交戦略”が推進されていることは確実だ。
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