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記事全文を読む→ピンク・レディー「再結成ステージ」がまさかの「15分で終了」のアキレた舞台裏/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
1981年3月31日の後楽園球場コンサートを最後に解散した、ピンク・レディー。そんな彼女たちが、東京・ビクタースタジオで記者会見し、本格的な活動再開を宣言したのは、2010年9月1日のことだ。
記者会見の席上、ミーは、
「今まで何回か復活してきたんですけど、それは全て強いご要望をいただいて『そこまで言っていただけるなら』ということで。でも今回はどなたのご要望もいただかず(笑)、自分たちで決めました」
続けて、ケイも活動再開を決意した心境を明かした。
「ピンク・レディーの作詞をしてくださった阿久悠先生、振り付けの土居甫先生が相次いで亡くなられて。私たちを作ってくださった方がいなくなってしまったということは、ミーともいつまでも一緒にいられるわけではないと気付いてドキッとして、このままじゃいけないと思ったんです」
確かに期間限定の再結成は05年までに4回あり、中でも忘れられないのが、1回目の1984年5月20日。府中のダービースクエア特設会場でのステージだった。
この日、会場となった特設ステージ前には、早朝から中年男性を中心に長い列が。主催者の発表では、その数4000人。
司会者の紹介を合図に、会場に大ヒット曲「UFO」のイントロが響き渡ると、ミニ丈スカートのコスチュームを期待するファンの前に現れた2人は、全盛時代とはうって変わった地味なスカート姿。やや拍子抜けするも、久しぶりにステージに並ぶ2人に、ファンからは大きな拍手が送られた。
ところがこの日、2人が披露したのは、復活アルバムから「不思議LOVE」と「黄昏てモダンガール」の2曲だけ。おまけにケイは「ソロシングルの発売キャンペーンがあるので」と、15分足らずで退席してしまう。
結局、ひとり残されたミーがピンク時代の曲をメドレーで歌い、「同窓会」はあっけなく終了となる。会場のファンからは、ため息が漏れたことは言うまでもない。
1カ月前から大宣伝を打ったにもかかわらず、いったいなぜ、こんな白けたイベントになってしまったのか。
主催者側の中央競馬会関係者に取材すると、
「4月の段階でプロデューサーから決定の連絡を受けたのですが、増田さん(ケイ)サイドが新曲のキャンペーンのため、スケジュールを入れていなくて…」
つまり、プロデューサーの連絡ミスが原因で、土壇場になって主催者側が増田サイドに泣きついて「なんとか、プロモーションの一環だと思って出てもらえないか」という流れで、この日に至ったようなのだ。
むろん、ピンク・レディーには何の罪もない話だ。だが、再結成を待ち望んでいたファンはガックリ。「ユーフォー」という言葉を聞くたび、府中でのあのシーンが蘇る。
山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。
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