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記事全文を読む→何度も死を覚悟した芸人・ハチミツ二郎を絶賛する東西の大物「ビートたけしと中田カウス」
5月20日に初めて開催された「THE SECOND~漫才トーナメント~」(フジテレビ系)が、好評のうちに幕を閉じた。結成16年以上の漫才師による大会というコンセプトは、お笑いファンに受け入れられたとみてよさそうだ。
この「THE SECOND」を体調不良で辞退したのが、東京ダイナマイト(松田大輔、ハチミツ二郎)。ハチミツの腎移植手術が原因だった。1年前から準備をしており、母親からのドナー手術を受けたが、芳しい結果ではなかったという。
18年には急性心不全と呼吸不全で入退院し、生死をさまよった。21年は前年末に罹患した新型コロナウィルスへの感染で危篤状態に陥り、後遺症に悩まされた。私生活では小学生の娘を持つパパ。何度も死が頭をよぎったという。
芸人としても、ジェットコースター人生だった。「M-1グランプリ」では、04年と09年の2度にわたって決勝戦に進出。04年はオフィス北野、09年はよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属だった。オフィス北野を退社後はフリー、のちにモデル事務所として名高いオスカープロモーションに移籍したが、最終的には運営劇場を多く抱える吉本に落ち着いた。
「最初に北野を選んだのは、ビートたけしさんの長男と親しかったから。その縁で、芸能人御用達で知られる東京・西麻布の高級イタリア料理店『キャンティ』で会食し、マネージメント預かりという形になりました。北野から吉本へ移籍する間にオスカーを『挟んだ』のは、たけしさんから『1年おいてくれ』という条件を出されたからです」(週刊誌記者)
たけしは東京ダイナマイトの漫才を高く評価していた。自分の事務所に置いておくのはもったいない、と思うほどだったという。同様の意見を持っていたのは、吉本の西の重鎮・中田カウス。東京ダイナマイトが吉本運営の浅草花月の舞台に立った時、「おいちゃん(たけし)から電話があったぞ。うちの若いのが行くから、吉本で世話してくれって。お前ら、吉本に来る気ないのか」と直に声をかけている。
「2人は即、『行きたいです』と答えたそうです。すると、カウスはその場で吉本上層部に電話。次の日、新宿にある本社へ行くよう指示しました。すぐに所属が決まりましたね」(前出・週刊誌記者)
北野を去る時、たけしは「あんちゃんたちのコントは、寿司職人が食べに行く寿司屋だ。売れたいならマクドナルドになれよ」という賛辞の言葉とともに送り出している。東のたけし、西のカウスに認められた東京ダイナマイト。このベタ褒めは漫才師冥利に尽きるだろう。
(北村ともこ)
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