さらに、談志の人生を語るうえで大きな“転機”となったのは、立川流の創設だった。真打昇進制度を巡って、師匠で人間国宝の五代目柳家小さんと決別。83年に落語協会を脱退し、立川流を立ち上げた。定席(常設されている寄席)を持たない立川流は、そのハンデをものともせず、積極的に落語会を開催。さらには、有名人にも門戸を開放し、立川門下として、その存在をアピールすることに成功した。しかも、落語界からは「弟子が育たないのではないか?」と疑問の声も上がった。だが、今になってみれば、「名人」とも言われる弟子が次々現れている現状は、談志の師匠としての名伯楽ぶりもかいま見えるのだ。
立川談遊の名前もある山本晋也監督が“師匠”談志との思い出を語る。
「僕が三十数年つきあった中で、ホメてくれたことは1度だけ。かつてハワイの真珠湾にご一緒した時、師匠は麦ワラ帽子に短パン、草履というスタイルで訪れたの。でも、周囲はみんなちゃんとした格好をしている。アメリカ軍の遺族たちが、墓参りしている。そこに日本人が観光気分であんな服でノコノコ行ったら『何だ、あのジャップのイエロー・モンキーは』という表情で僕と師匠を見ながら、『私たちはパールハーバーを忘れちゃいないわよ』みたいなことを言われた。そこで、師匠が僕のこと蹴飛ばして、『晋也、この野郎、何か言い返せ』。しょうがないから、思いついた言葉『ノーモア・ヒロシマ』ってでっかい声で言ったの。そうしたら、シーンとしちゃって。おばあちゃんが悲しい顔で『おー、お互いに不幸だったよね。戦争というのは』ってハグしてくれて。その直後に、師匠が初めて僕の肩を抱いてくれて、『おめー、アメ公にいいギャグ飛ばすじゃねぇか』って。今でも忘れられません」
弟子に限らず、談志は、見どころのある人間には、手を差し伸べることも惜しまなかった。
前出・毒蝮氏があとを引き取って言う。
「彼にはホントに、勉強させてもらいましたよ。芸人は、売れなきゃ芸人じゃないんだよね。だから『早く食えるようになれ』ってあいつはよく言ってたよ。俺が仕事があるなんて言うと凄く喜ぶんだよね。『(芸名を)毒蝮になれ。もし売れなかったら月に20万保証するよ』なんて言ったやつだからね。あいつは俺の名付け親だし、俺のプロデューサーですよ。あいつは人を快適にすることよりも、人を改良することがうまいよね。快適にはなかなかさせないよ。言いたいこと言うから(笑)」
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