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記事全文を読む→「ミスターレッズ」福田正博が「Jリーグのお荷物」扱いだった浦和に入団したホントの理由
あまりの弱さから「Jリーグのお荷物」とまで呼ばれていた時代の浦和レッズで、唯一救いだったとも言えるのが日本代表メンバーだった福田正博だ。福田がいなければ、浦和はここまでの人気チームになっていなかったかもしれない。では、なぜ福田は浦和の前身である三菱自動車工業サッカー部に入ったのか。播戸竜二氏のYouTubeチャンネルに出演し、その理由を明らかにしている。
福田氏は中央大学で新人王に輝くなど活躍したものの、ユニバーシアード代表に選ばれることはなく、かろうじてB代表に入る程度で、「サッカーで就職できれば」と考えていたとか。いくつかの企業から誘いを受け、最終的に三菱重工業サッカー部(1990年に三菱自動車工業サッカー部に移管)と古河電気工業サッカー部に絞り、三菱に決定したという。その理由を福田氏は、
「高校、大学は上下関係が厳しいところだったので、OBがたくさんいるところは嫌だった。古河は中央大学OBがいたが、三菱はいない。当時監督をしていた大仁邦彌さんが『ドラフトでいうと1位と考えてる』と言ってくれた」
と言い、もう1つは、
「三菱は調布に練習場があって、寮が成城にあった。なんか田舎もんチックで成城に住んで丸の内で働いてというのに(憧れた)。サッカー選手を辞めた後も考えた」
と明かした。こうして三菱に入団し、浦和レッズのエースに成長した福田氏。浦和というチームについては、
「守備を重視する堅実なチーム。相手の攻撃を耐え忍ぶ姿がサポーターの気持ちをくすぐるものがあり、一体感と結束力が生まれた。だからカップ戦に強いのかな」
と分析した。福田氏は02年に引退後、サッカー解説者として活躍中。08年から10年までに浦和のコーチを務めたが、以降はレッズで仕事をしていない。いつかチームに戻ってきてほしいという声は今も止むことはない。
(鈴木誠)
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