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記事全文を読む→高津臣吾が引退試合で「終球式」をした現役最後の球団/あなたの知らないプロ野球「永久欠番」秘聞
今季、BCリーグからNPBファーム組織に移った球団に「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」がある。同クラブは独立リーグ時代、新潟のプロ球団化を望みながら試合中に急死した野球少年にちなみ、「背番号10」を永久欠番とすることを決定。イースタン・リーグに加入した今季からは「サポーター背番号」の意味も持たせ、「10」を継続して永久欠番としている。
だが同チームではもうひとつ「22」も、2012年9月22日に永久欠番としている。その背番号を背負っていたのが、現ヤクルト監督の高津臣吾だった。
1990年代のヤクルト黄金期を支え、4度の日本一に貢献した高津監督はNPB、MLB、韓国KBO、台湾CPBLと4カ国の野球リーグを経験した、初の日本人選手だ。
2010年1月4日にCPBLの興農ブルズと契約。チームの前期優勝に貢献したが、11月26日に契約を打ち切られると、2011年1月24日に独立リーグの新潟アルビレックスBCに入団する。テレビ番組のレギュラー野球解説者もこなしながら、1年目は27試合に登板し、0勝2敗16セーブで、防御率は2.16。セーブ数はリーグトップだった。
翌年には新潟の選手兼任監督に就任したが、8月31日に、この年限りでの現役引退を表明する。引退試合は9月22日の長岡市悠久山野球場での信濃戦。試合後にはなんと「始球式」ならぬ「終球式」が行われ、ヤクルト時代から仲が良かった古田敦也氏を捕手にして、「最後の1球」を投じたのである。
監督としてはBCリーグ初優勝を果たし、四国アイランドリーグplus王者の香川とのグランドチャンピオンシップも3連勝で制した。そして、この年限りで監督を退任している。
2020年にヤクルトの1軍監督に就任。翌年にはチームを20年ぶり6度目の日本一に導いた。過去、胴上げ投手となった選手が同じ球団で監督として日本一になった、初めてのケースである。
なお、ヤクルトの背番号「22」は永久欠番ではなく、現在も高津監督本人が付けている。
(阿部勝彦)
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