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記事全文を読む→超残虐!「牛裂きの刑」で少年をバラバラにした戦国大名の暴政三昧
戦国時代から江戸時代にかけて行われた、最も残虐な死刑の方法に「牛裂き(牛引き)の刑」と呼ばれるものがある。これは処刑される人間の両手両足を、柴の束を背負わせた複数の牛につなぎ、その柴に火をつける。当然、牛は暴れて四方八方に逃げるため、処刑される人間の体はバラバラとなり、死に至るというものだ。
その刑罰を、罪ともいえない過ちを犯した少年に科した人物がいる。戦国時代から安土桃山時代にかけての阿波(今の徳島)の大名、三好長治である。
天文22年(1553年)以降に三好実休の長男として生まれた長治は、永禄5年(1562年)、父・実休が久米田の戦いで戦死したため、家督を相続した。
当時、伯父・三好長慶によって畿内の支配力を強めた三好氏において、本国である阿波は重要な拠点だった。
この長治が「やらかした」のは、元亀3年(1572年)のことだという。長治は鷹狩りを催した。この時、鴨を捕まえた鷹が、勇利権之助という侍の屋敷の前に落下した。この場所が悲劇を招くことになる。
ちょうど門前に若松という少年が居合わせており、突然、空から落ちてきた鷹と鴨がバタつく姿に仰天。手にしていた棒を無我夢中で振り回し、鷹と鴨を打ち殺してしまったのだ。
大事な鷹と獲物の鴨を殺された長治は大激怒。若松を捕らえると、なんと牛裂きの刑に処してしまったのである。しかもこの凄惨極まるな処刑を公開で行ったことから、人々は「是非をわきまえていない少年。その子供が驚いてしたことに対して、この刑はあまりにも暴虐だ」と、君主にあるまじき残忍さを非難した。
子供に対し、このような刑罰を科す性格の長治だけに、領内での暴政は増すばかり。天正3年(1575年)には、阿波全土の国人や領民に対し、法華宗への改宗を強要した。
これで国人や領民の支持を失うと、他宗からの反感も招き、国内の支配力は一気に低下。天正4年(1576年)、一宮成相の攻撃によって12月27日、板東郡別宮浦で自害し、一生を終えた。
美濃の斎藤道三なども、領内の罪人にこの牛裂きの刑を科した例はあるが、徳川三代将軍・家光の異母弟である保科正之が大政参与となった時代に、釜ゆでの刑とともに廃止されている。
(道島慶)
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