アストロズの今井達也がオープン戦2度目の先発マウンドに上がったのは3月6日だったが、2回被安打1四球3奪三振と好投した。「30球を投げて19球がストライク。制球力が高いという前評判の通りでした」(現地記者)同時に聞こえてきたのは「意外な評価...
記事全文を読む→【悲劇の徳川史】パワハラ三昧の土佐藩家老に下された「家族全員が一生幽閉」されるという「一族根絶やしの刑罰」
野中兼山という土佐藩の家老がいる。死後、血縁者すべてが死に絶えるまで幽閉されるという悲劇を引き起こした人物だ。その父親の良明は、内助の功で有名な山内一豊の甥で、幡多郡中村2万9000石を約束された。
藩主ではないが、2万9000石といえば、ちょっとした城持ち大名以上。一関藩や福島藩と同じような収入ながら、一豊が死去し藩政は、一豊の弟である康豊が仕切ることになり、2万9000石の話は幻となった。これにキレた良明は藩を無断出国し、浪人になったという。
兼山が生まれたのはこの頃、元和元年(1615年)だ。本来ならセレブ一家で育つはずが、極貧環境に置かれることに。それでも13歳の時、父のいとこで土佐藩家老でもあった野中直継の娘・市の入り婿となり、やっと土佐に戻ると世に出る足がかりをつかみ、家老職を継ぐ。
以降30年、導入堰・用水路の建設、港湾の修築に功績を残したが、パワハラが過ぎた。土木事業に労働力として駆り出された農民たちの扱いにおいては、大便休憩以外は休ませず、労働を強要。農民たちは「大便に見せかける技」をこぞって編み出したという。
新田を開拓して定住したかに見えた農民はその労働を怖れるが、逃亡者が続出した。のちにそれが原因で寛文2年(1663年)、三代藩主・山内忠豊が土佐に帰国した時点で形勢が逆転。反兼山派のクーデターもあって辞職、同じ年に急逝してしまう。
その後も反兼山派は野中家を徹底的に叩き潰しにかかったというから、なんともすさまじい。所領、家禄、屋敷の没収および士分の剥奪だけではない。家族は現在の高知県宿毛市に幽閉され、男女ともに婚姻を禁じられ、子孫を作ることは許されなかった。ある意味、一族根絶やしという刑罰だ。
この真綿で首を絞めるがごとき残酷さは、京都の三条河原で一族郎党が殺害された豊臣秀吉の甥・秀次一族の悲劇に匹敵するだろう。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
最近のカルチャーシーンにドーンと鎮座するものに「昭和レトロ」がある。とりわけ主婦層の間では昭和歌謡や復刻家電、駄菓子風スイーツなどがSNSで大きな話題となり、「推し活」の一環としてグッズを集める動きが拡大している。しかし同じ「昭和回帰」でも...
記事全文を読む→例年よりも早い桜の便りが届いている、2026年の初春。東京では上野恩賜公園や代々木公園といった有名花見スポットは、記録的な円安で押し寄せたインバウンド客と、宴会制限が完全に撤廃された解放感に浸る日本人で、まさに足の踏み場もないカオス状態が予...
記事全文を読む→スマホの通知に追われる日常から、少し距離を置く。そんな「デジタルデトックス」では、若者が編み物や日記、フィルムカメラといったアナログ趣味にハマるケースが報告されているが、この流れは中年層にもじわじわと波及している。その背景にあるのは、仕事で...
記事全文を読む→
