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記事全文を読む→〈立川談志「最後の弟子・立川談吉」が書く「最期の時」〉第2回(3)俺は談志の最後の弟子だッ
その夜、ホテルニューオータニで師匠の長女・弓子さんと慎太郎さんによる記者会見が始まった。病名や闘病生活の様子などを記者の方々に答えている様子を会場の隅から見守っているうちに、勝手ながら小僧から番頭になったような心持ちがした。会見後にホテルの上で食事をしながらテレビ(スマホだったか何かの端末か)をつけると、師匠ゆかりの色んな人がインタビューに答えていた。それを見ながら。
「この人泣いてるよ」
「何でこの人が泣くのよ」
「この人は30点だね」
「この人は」
「うーん60点だね」
別に誰が泣いてもいいと思うんだが、審査員のように画面を見ていると志の輔師匠の出番になった。どんなことを言うのだろうと素直に思った。
「師匠らしい最期です。そのダンディズムを受け継ぎたい」
一同皆スタンディングオベーション、紙テープが飛び交い文句なしの100点がついたのは言うまでもない。念のために言っておくが私は審査員ではないのであしからず。
病院から火葬場を経てニューオータニまで、全ての仕事を終えてホテルを出た。夜はすっかり深まっていて、帰る道すがら同居人の春樹に電話をすると嗚咽が聞こえた。
「兄さん、す、みません‥‥俺‥‥知らなくて、本当に‥‥すみません」
「空見たかい」
「いえ‥‥ちょうど‥‥昼寝、してました‥‥すみません」
「しょうがないなぁ、帰ったら何でも話すから」
「はい‥‥すみません」
住んでいたボロアパートに帰ると、空の一升瓶が新しく転がっていた。春樹は「代書屋」のDVDを肴に笑っては泣いて、泣いては笑っていて、こいつの情緒はどうなっているのだろうと思った。あの時はこうであの時はこうだったなど、今まで誰にも言えなかった師匠のことを話しながら、夜が明けるまでお酒を飲んだ。
数日後、ムーブ町屋で立川談吉二つ目披露落語会が行われた。立川流の二つ目披露落語会では師匠がトリをとるのが通例だが、師匠がいないので仕方なく自分でトリをとった。演目は談志の十八番、「鼠穴」。お世辞にも上手く出来たとは言えないし、まして自分に合う話だとも思わない。それでも何とかサゲまで辿り着いたのは、お客さんが一緒に落語を作ってくれたからだろう。落語が終わったあと何とも言えない気持ちになり、座布団の上から絶叫した。
「俺は談志の最後の弟子だっ!!!」
ありがとうございますを何倍にも詰め込んで叫んだ。
正直入門してから自分が談志の最後の弟子だと公言したことは一度もなかった。そもそもまだ生きてるのに最後も何もなかろうと思っていたし、言うものでもないと思っていた。今でも自ら最後の弟子だと語ったことはない。周りにはもっと使わなきゃ損だよとも言われるし、おそらく師匠談志も、もっと俺を利用しろと言うだろうが、こればかりは持って生まれた性格によるものなので仕方がない。
ともかく入門してわずか3年で師匠を失った落語家は力の限り叫んだが、叫ぶ以外何も出来ず、雛鳥のごとく無力だった。
立川談吉(たてかわ・だんきち)1981年12月14日生まれ。北海道帯広市出身。2008年3月に立川談志に入門。11年6月に二ツ目昇進。12年4月に立川左談次門下へ。18年7月に立川談修門下へ。26年3月1日に真打昇進「立川談寛」襲名予定。
写真/産経ビジュアル
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