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記事全文を読む→【街ブラルポルタージュ】「横浜カオス」なぜ彼らはこの街に惹かれるのか〈第2回・福富町(横浜市中区)前編〉(2)夜にも「表」と「裏」があった
福富町の一角に、団地がある。今も砂場が少しだけ残る公園では、主に小学校低学年の子どもたちが遊んでいた。一方、大岡川沿いにある「福富町西公園」は小学校高学年の子どもたちの溜まり場になっていた。鬼ごっこや缶蹴りをするとき、何も気にせずソープランドの間を駆け抜けていた。ただ、成長するにつれ、子どもたちも福富町を理解し始める。
「高校生のときは、友達を家に呼べなかったですね。小さいころはこの辺をワーッと遊び回っていても、別に誰も何も言わない。でも、高校生ぐらいになると、どういう店があるのか理解できるじゃないですか」
福富町のスナックは、ママが1人か、キャストの女性が1~2人で切り盛りする小さな店がほとんどだという。客はいつも同じ顔ぶれで、新規の客がふらりと入ってくることはまずない。たしかに街を歩いてみると、かなり入りづらそうな店ばかりである。
「接待とかで使うのは、駅の向こう側(馬車道)なんですよ。市役所、県庁、区役所と、官庁は全部向こうにあるし、大企業の横浜支社は大体向こうにある。そういう人たちが行っていたのは、キャバクラの走りみたいな、若い女の人がいるお店。このあたりは飲み屋街よりも、ソープ街の色のほうが強いですから」
関内が「表」の夜だとすれば、福富町は「裏」の夜ということになる。この街の成り立ちをたどってみると、一帯は江戸時代に吉田勘兵衛という商人が埋め立てた「吉田新田」の一部である。周辺には今も吉田町や吉田中学校と「吉田」の名が残り、吉田家ゆかりとされる「吉田ビル」が点在している。
戦後、この一帯は米軍に接収された。八木沢氏によれば、返還されて人が住み始めたころには、すでにスナックやパブがあったという。その福富町に、やがて韓国系の店が増えていく。この街に来て30年近くになるバーの店主は、その移り変わりをこう話す。
「私が福富町に来たころは、何軒か韓国料理屋はあったけど、日本のお店も結構残っていました。お座敷のある寿司屋とかね。店主が高齢になったり、跡継ぎがいなかったりしたところに、韓国のお店がすっと入ってきたんです。そんな感じで、だんだんコリアンタウンになっていきました」
店主によると、福富町が最も賑やかだったのは20年ほど前の韓国クラブ全盛期だった。街の活気としては、今はそのころの10分の1ほどだという。3年前には、通りにかかる「福富町」のアーケードが、いつの間にか「コリアンタウン」のアーケードに替わっていた。
ただ、新大久保ほどの活気はなく、店主いわく「コリアンタウンっていうには、ちょっと半端」なのだそうだ。
八木沢氏は、そんな福富町を隣の飲み屋街「野毛」とこう比べる。
「野毛は商店街の結びつきがめっちゃ強いんです。あの店は誰々さんの家の親戚、みたいな関係ばかり。(平安時代における)藤原氏みたいな。福富町にはそういうつながりがないんですよ」
國友公司(くにとも・こうじ)1992年生まれ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライター活動を始める。著書「ルポ西成」「ルポ路上生活」「ルポ歌舞伎町」「西成ユートピア」「ワイルドサイド漂流記」。連載「日本場末スナック放浪記」など。
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