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記事全文を読む→聖子・明菜・キョンキョン…あの<黄金アイドル>の蔵出し秘話をプレイバック!(2)
明菜と同じく「花の82年組」だが、実は小泉今日子(50)はレコ大新人賞の5人の枠に入れず、当初は乗り遅れた形であった。
髪形も同期の堀ちえみや石川秀美と同じく「聖子ちゃんカット」だったが、そこからの“反乱”がキョンキョンを別次元に導いたとアイドル評論家の高倉文紀氏が解説する。
「5曲目の『まっ赤な女の子』で事務所にも相談せず、髪を刈り上げた。アイドルがあまりやらなかったことを次々とやって、サブカル寄りの人たちにも支持されるようになった。ただし、アイドルとしてのファンを裏切ることもしなかった。今の『ももいろクローバーZ』の源流と言えるかもしれません」
同じ82年組の「シブがき隊」の一員だった布川敏和は、自分たちにとっても格別の存在だったと言う。
「当時の『ザ・ベストテン』(TBS系)で、キョンキョンが先に歌ってソファに座っているでしょ。その直後に俺たちの番だと、歌い終わると同時に3人ともダッシュ。誰がキョンキョンの隣に座るか、いつも争っていたね」
80年代も半ばに入ると、さらにアイドル勢力図は激化する。85年に名曲の誉れ高い「卒業」でデビューした斉藤由貴(49)は、神秘的なイメージが大きな武器だった。
ディレクターを務めた長岡和弘氏は言う。
「作詞・松本隆、作曲・筒美京平という、これ以上ないゴールデンコンビに依頼しました。ただ依頼しただけではなく、由貴さんがオーディションで歌った5曲を録音して、それを2人に聴いてもらったんです」
松田聖子の「夏の扉」に「SWEET MEMORIES」、原田知世の「時をかける少女」、あみんの「待つわ」、そして中島みゆきの「悪女」だった。
「2人とも、あみんの『待つわ』が心に響いたと言うんです。彼女は歌声が澄んでいて、表情も豊か。ジャンル分けではないが、それなら、歌詞をきちんと伝えるような歌を作ろうということになりました」
3人で細部まで何度もミーティングを重ね、そしてデビュー曲が完成した。長岡氏は今も斉藤と親交があり、ライブでは変わらぬ姿にホッとする。
「歌で癒やされ、毒舌のMCで大笑いさせられる独特のライブ。樹木希林さんにも似た大物感があります」
オンエア中の「真田丸」(NHK)では、徳川家康の正室・阿茶局に扮しているが、斉藤でなければ出せない色合いである。
その斉藤由貴から「スケバン刑事」(85~87年、フジテレビ系)のバトンを受け継いだのが南野陽子(48)である。映画としての代表作「はいからさんが通る」(87年、東映)を撮った佐藤雅道監督は、完成作を観て思った。
「大きなスクリーンでこそ映える美しさがあったね。トップアイドルになるのは、選ばれたこういう子なんだと思った」
歌手としてのデビュー曲「恥ずかしすぎて」は85年6月23日、18歳の誕生日に発売されている。担当ディレクターだった吉田格氏は、ナンノのコンセプトを決めた。
「この年は菊池桃子や斉藤由貴など『お嬢さんアイドル』が華やかだった。ナンノも神戸の名門・松蔭高校に通っていた本物のお嬢さんでしたから、ユーミンや竹内まりやのアイドル版を狙った。彼女の学校生活のレポートをもとに、作詞家に依頼しました」
こうした職人たちの渾身の姿勢があってこそ、80年代アイドルは宝石となれたのだ──。
アサ芸チョイス
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