退陣後の東条は、東京・世田谷の自宅に引きこもる日々を過ごし、終戦の玉音放送もこの自宅のラジオで聴いた。昭和20(1945)年9月11日夕方、戦犯としての東条の逮捕のためGHQ(連合国軍総司令部)のMPの一団が自宅に到着すると、東条はそれを自...
記事全文を読む→東条英機
近衛文麿退陣後、日米開戦を決断、「悪の権化」視された東条英機が総理大臣に就任するまで、次のような政権の動きがあった。近衛文麿の第一次内閣が、「日独伊防共協定」の強化問題などの難航で政権を放棄したあと、近衛の強い推薦で後継総理となったのは、わ...
記事全文を読む→「近衛は弱いね」と、A級戦犯として東京裁判の軍事法廷に引き出される直前に服毒による自死を図った近衛文麿に対し、報告を受けた昭和天皇はポツリと言った。その遺書(昭和20年12月15日に記した2男宛)の一部には、自らは戦争回避に全力を尽くしたが...
記事全文を読む→今の官僚組織と一緒だな。勉強できるやつが出世して偉くなるけど、そういう連中に限って、人の痛みを知らない。そのくせ、プライドばっかり高くてね。五十六さんも東条さんも高学歴のインテリなんだよね。ちょっと鼻が高いっつーかな。「俺の他にトップ張れる...
記事全文を読む→五十六さんがボクサーなら、最初はポイントを取るけど、そのうち攻められて負けちゃうタイプだな。ちょっと守りがうまい選手なら、うまいことおびき寄せて出てきたところを迎え撃って簡単に倒せる。その証拠に、真珠湾攻撃ではうまくいったけど、いったん負け...
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