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記事全文を読む→三崎千恵子、夫に従順も口では負けぬ「寅さんのおばちゃん」演技の“心地よさ”
2012年、平成24年2月13日。三崎千恵子(みさき・ちえこ)が死去。享年91歳。
「男はつらいよ」シリーズ第1作から第49作に、寅さんこと、車寅次郎のおばちゃん(叔母)・車つね役として出演。寅さんファミリーの欠かせない一員であり、生涯の当たり役である。ニッポンのおばちゃん=寅さんのおばちゃんであり、三崎千恵子なのである。
光本幸子が初代マドンナを務めた「男はつらいよ」第1作の公開は1969(昭和44)年8月27日。1920(大正9)年生まれの三崎は当時、49歳であった。
さて、「男はつらいよ」シリーズだが、当初は、「続・男はつらいよ」(1969年11月15日公開)との2作で終了予定であったという。確かに、1作目と2作目は山田洋次が監督を務めているが、第3作の監督は森崎東、第4作は小林俊一が監督なのである。山田洋次は、脚本のみ。5作目が完結編となるはずであった。しかし、「男はつらいよ」は、その後、延々と作られることになる。
そして、この第2作こそが、山田洋次の「男はつらいよ」の原型といっていい。「続」の始まりであり、寅さんファミリーの役割分担が見事に描かれ、演じられるのである。
おばちゃん=三崎とおいちゃん(森川信)の掛け合いが見事である。
「さあ、そろそろ帰ろうかな」とさくら。
「まだいいじゃないかよ。博さんとお帰りよ」
「晩飯だけ食べていけ」と促すおいちゃんである。
「あのばあさんとな、差し向かいでメシ食うの、飽き飽きしてんだよ」とおいちゃんが軽口を叩くと、三崎演じるおばちゃんが満男をだっこして、タコ社長の印刷所から、戻ってくる。
「満男ちゃんに、おとうちゃんの働いているとこ見せてきた」と、おばちゃん。
「バカだな。あんな埃っぽいとこ、連れてく奴ねえよ」と、おばちゃんを叱るおいちゃん。
「そうかね、悪かったかね」とすぐさま応じるおばちゃん。
「平気よ」とすぐさま、とりなすさくら。
おいちゃんは、満男を見やり、「…しかし、この子はなんだね。ますます、寅さんに似てきたね」と。続けて、
「おれに似りゃ、もうね、もうちょっと二枚目なんだけどな」
「バカだね、それじゃタヌキ面になっちゃうじゃないかよ」とおばちゃん。
「ゲタ面よりマシだよ」と応じるおいちゃん。
この「バカ」の言葉を介した、丁々発止の間髪を入れずのやり取りこそが、寅さんの会話の原型と言っていい。下町家族の典型が見て取れる。
おばちゃんは、おいちゃんに素直に従いつつも、口では負けていないのである。三崎のこの呼吸が心地いい。それでいて情に厚く、涙もろい。演じる役と本人のイメージが全き一致を見ているといっていいだろう。
三崎は、当時の東京府北豊島郡西巣鴨町の出身。「おばあちゃんの原宿」で名高い、あの巣鴨の生まれである。柴又帝釈天と同じく庶民の信仰を集める、とげぬき地蔵で有名な高岩寺があるのもむべなるかな。
家業は青果問屋という。
おばちゃんのほつれ髪と前掛けは、伊達ではないのである。
(文中敬称略)
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