「神宮球場を壊す必要があるのか」コロッセオを思わせるアーケード、夕暮れに浮かぶ照明塔、ナイター開始前のあの匂い。記憶の中の景色を思い浮かべるたび、ふとよぎる問いではないだろうか。あの景色は、できればそのまま残しておいてほしい。そう思う人は多...
記事全文を読む→松木安太郎が自画自賛する「サッカー界を変えた」おカネの話
サポーター目線の解説が「居酒屋解説」と呼ばれ、とにかく明るい解説者として認識されている松木安太郎氏。サッカー界のバラエティー担当といったポジションだが、元日本代表・鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで実は日本サッカー界に大きな痕跡を残してきたことを自ら明らかにしている。
松木氏は暁星小学校でサッカーを始め、暁星中学、高校と進学。しかし、高校生の時に大きな決断をする。サッカーのために暁星高校から堀越高校に転校したのだが、その理由をこう話した。
「当時、16歳から日本リーグ2部の試合に出場できる可能性があった。読売クラブでそれを実現するために、練習に参加しやすい暁星高校から堀越に転校した。葛藤はあった」
その努力の甲斐もあって高校卒業後、読売クラブとプロ契約。1976年に日本リーグデビューすると、読売が常勝軍団になった。84年に日本代表初招集。キャプテンとしてB代表の遠征に行った際に松木氏は大きな仕事をやってのける。
当時はB代表が獲得した賞金はA代表の強化費に回されていたが「頑張った証として賞金がほしい」と監督に直訴。B代表のメンバーには大学生もいたが、これによりチーム全員に賞金の一部が分配されることになったという。松木氏は、
「この時の監督と飲む度に『お前のあの賞金を分配したことがまさにプロチームの第一歩だった』と言われる」
と胸を張った。松木氏のこの功績は日本サッカーに大きな影響を与えたとサッカーライターは指摘する。
「現在、選手は代表として試合に出場すると出場給がもらえます。勝てば勝利給も出る。金額は明らかにされていませんが、かなりの額だと言われています。しかし以前は無給で、出るようになってからも数千円という額だった。それを松木氏や1993年アメリカW杯のドーハ組が変えた。アマチュア同然だった日本代表にプロ意識をもたらしたんです」
そんな松木氏はプロサッカーリーグのJリーグがスタートした年、ヴェルディ川崎を率いて2年連続で優勝。要所で日本サッカーのプロ化に関わってきた人物であり、ただ明るいだけのサッカー人ではなかったのである。
(鈴木誠)
アサ芸チョイス
11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...
記事全文を読む→バナナマンの日村勇紀が当面の間休養に専念すると、所属事務所ホリプロコムの公式サイトで発表した。今年に入ってから体調を崩すことが多く、医療機関を受診した結果、休養が必要との判断に至ったのだという。「心身の回復を第一に、コンディションを整えなが...
記事全文を読む→ゴールデンウィークが明けても再起の見通しが立たず、長すぎる空白期間を過ごしているのは、左内腹斜筋肉離れでリハビリ中のヤクルト・山田哲人内野手である。沖縄・浦添キャンプのシートノック中に脇腹の張りを訴え、戦線離脱。5月になっても打撃のひねり動...
記事全文を読む→

