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記事全文を読む→武藤敬司×NOSAWA論外「プロレスLOVE」大放談(1)メキシコの家が乗っ取られ
今年の2月21日、辿ってきたキャリアも実績も違う両者が、同じ大舞台でプロレス人生の幕を閉じた。過日、NOSAWA論外が上梓した自伝本には2人のエピソードが満載。顔を合わせるや、世界を股にかけたプロレス魂に花を咲かせるのだった。
武藤敬司 昨日、イベントの合間に控室でチラッと読んだけど、こんな分厚い本を作っちまって、アサヒ芸能も大丈夫かよ? 潰れちまうぞ。そんなに書くこともないだろう(笑)。
NOSAWA論外 いやあ、これでも結構、削ったんですよ。自伝を書くなんて一生に一度なんで。いざ書き始めたら、忘れていたこととか、こんなことやってたんだって、悪いことばっかり思い出しましたけどね(笑)。
武藤 そういう記憶、俺はどんどんなくなっていってるよ。蝶野(正洋)とトークショーをやったりするけどさ、だんだん2人の記憶が一致しなくなってきているもんなあ。お前と初めて会ったのはいつだよ? 俺が全日本プロレスの社長だった時にメキシコから来たんだから、もう20年以上も前だよな。
NOSAWA その時は武藤さんとしゃべれるような立場ではなかったんで。
武藤 確か変な骸骨みたいなマスクを被っていたはずだよ(2003年11月にマスクマンのパルカ・ゲレーラとして参戦)。
NOSAWA いや、その前年9月にメキシコのマスクマンのダーク・ゲレーラとして初めて全日本に上がっているんですよ。最初、全日本に来た時は、挨拶してスーッとその場から姿を消すみたいな。武藤さんは雲の上の人でしたから〝あっ、本物の武藤敬司だ!〟って緊張して(笑)。
武藤 俺がチョイスして全日本に来たわけじゃないんだよね。
NOSAWA カズ・ハヤシさんとケンドー・カシン先輩がメキシコに来た時にお世話したのがきっかけですね。で、最初はメキシコのマスクマンで呼ばれていたんですけど、マッチメークを担当していた渡辺秀幸さんに「素顔の方が有名で、MAZADAという相棒もいるんですけど」って話をして、04年の2月に初めて素顔で全日本に上がったんですよ。
武藤 覚えてねぇよ(笑)。
NOSAWA 最初の頃は移動も外国人のバスだし、控室も外国人側でしたから、武藤さんと接する機会はなかったんですけど、どこかの会場のトイレで一緒になった時に「お前ら、面白れぇな。今度、いつ来るんだよ?」って聞かれて「武藤さんが呼んでくれるんだったら、いつでも来ます」って言ったのを、そのまま渡辺さんに伝えたら、レギュラーで呼んでもらえるようになりました。
武藤 そうだ! お前が全日本に上がって、メキシコの家に帰ったら、奥さんが違う人と住んでいて、名義も変わっていて、乗っ取られていたんだよな(笑)。
NOSAWA そんな話をカズさんにしたら、武藤さんの耳にも入って、それで「どうなってんだよ?」って面白がられて。それから武藤さんの集まりがある時に呼ばれるようになったんですよ。お酒を飲みながら、結構、話をさせてもらいましたよね? プロレスの話ばっかりでしたけど。
武藤 プロレスの話なんてしてねぇよ。
NOSAWA いや、何気ない会話が後々、僕のヒントになっているんですよ。
武藤 俺が覚えてるのは‥‥プエルトリコとか、フィラデルフィアに一緒に行ってるよな? そうやって同じ飯を食わなきゃ覚えないのよ。
NOSAWA 武藤さんと海外に行くと「日本食ねぇのかよ」って言うから、プエルトリコでは「将軍」っていう日本食レストランに行って、イギリスでは日本食がなかったからチャイニーズで(笑)。
武藤 日本食がなけりゃ、コリアンかチャイニーズだからな。
NOSAWA イギリスでいきなりチャイニーズの店に入って紹興酒のボトルを入れちゃったから、2日連続でスコッチ・ウイスキーじゃなくて紹興酒(笑)。だから各地の名産を食べた記憶があまりない。プエルトリコで食べたイエローライスぐらいですね。
武藤 昔、フロリダのタンパにいた時にキューバ料理の店があって、そこのイエローライスもうまかったんだよ。プエルトリコではモツも食べるしな。
武藤敬司:62年12月23日生。84年4月、新日本プロレスに入門。蝶野正洋、故・橋本真也と「闘魂三銃士」と称され、トップレスラーへ。02年2月に全日本プロレスへと移籍し代表取締役社長に就任、プロレス大賞MVPに輝いた。13年に「W–1」旗揚げ。18年3月末に両膝を人工関節に施術。21年2月にプロレスリング・ノアへ電撃入団。23年2月21日、東京ドームで引退。現在はタレントとしても活躍する。
NOSAWA論外:76年12月17日生。95年の屋台村プロレス入門を皮切りに、同年12月にPWCで正式デビュー。98年からメキシコに渡って活動。メキシコと日本、アメリカを行き来し、プエルトリコ、グアテマラ、オーストラリアにイタリア、イギリスと世界を股にかけて戦う。日本国内だけでも、全日本、新日本、ノアをはじめ、多くの主要団体のリングに分け隔てなく上がった。23年2月21日、東京ドームで引退。現在は文化人。
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