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記事全文を読む→大河ドラマ「豊臣兄弟!」ではわからない戦国時代「本当は怖い百姓の脅威」!「落ち武者狩り」で明智光秀も竹槍で刺された
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」が好調だ。尾張の貧しい農家に生まれた藤吉郎が、弟・秀長とともに天下へ駆け上がる。農民から天下人へ。痛快な下剋上である。だが、その同じ「農民」が、戦に敗れた武士にとっては大きな脅威だったと聞けば、印象は少し変わるのではないか。
戦国の合戦は、勝者と敗者を分ける。問題は負けたあとだ。敗走する武士、いわゆる「落ち武者」を敵の追っ手とは別に、地元の百姓もまた狙った。
戦国の村は、ただ武士に踏みにじられるだけの存在ではなかった。兵と農が分かれる前の時代、地侍や名主百姓は武装し、村は自衛のために城を築くことすらあった。村同士でも、水や境界を巡って鍬や石で殺し合う。我々が思い描く、刀を取り上げられた江戸の平和な百姓とは、まるで別物だ。戦場周辺では「落ち武者狩り」が慣行のように行われることもあった。
なぜ、彼らは敗者を襲ったのか。理由は単純で、切実だった。落ち武者は歩く財産だったからである。鎧、刀、馬、金品。どれも村人には手の届かない高級品だ。身なりや装備が目立つ武将ほど、村人の標的になりやすかった。
また、そこには恨みもあった。戦のたびに田畑を荒らされ、家を焼かれ、息子を兵に取られ、蓄えた米を奪われる。村にとって武士は災厄そのものだった。敗残兵を見逃せば、今度はこちらが襲われる。やられる前にやる。自衛と報復が、刃となって敗者に向かった。
最も有名な犠牲者は、明智光秀だろう。本能寺で主君・信長を討ち、天下に手をかけながら、山崎の戦いで秀吉に敗れる。逃げる途中、小栗栖の竹藪で落ち武者狩りの百姓に竹槍で突かれたとされる。三日天下の幕切れは、武士同士の決戦ではなく、名もなき村人の手によるものだった。
徳川家康ですら「伊賀越え」で命からがら難を逃れた
落ち武者にとって地獄なのは、戦場よりも帰り道の方だ。重い鎧や目立つ武具は、逃げる身には守りであると同時に、危険な目印になる。あの徳川家康でさえ、本能寺の変の直後、わずかな供と伊賀の山中を越える「伊賀越え」では、同行した京都の豪商・茶屋四郎次郎が銀子を使って土地の者を動かし、命からがら難を逃れたと伝わる。天下人になる男すら、村の脅威の前では必死だったのだ。
とはいえ、全ての敗者が襲われたわけではない。慕われた者が村にかくまわれることもあった。大河に登場する石田三成は関ヶ原で敗れたあと、近江・古橋の村人にかくまわれたと伝わる。腹を下した三成に、村人がニラ粥を炊いて差し出したという話まで残る。最後は捕らえられ、京で果てるが、武士の生死を握っていたのは、ふだん歴史の表に出てこない百姓たちだったのである。
天下統一の華やかな物語の裏側で、敗者を飲み込んでいったのは、戦場の刀ではなく、村の竹槍だった。秀吉が「農民から天下人へ」の物語を背負った男なら、その時代の敗者の中には、同じ農民の竹槍に運命を断たれた者もいた。戦国とは、武士だけが歴史を動かす時代ではなかったのだ。
(ケン高田)
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