「足立梨花の夫は二宮金次郎の末裔だった!」芸能ニュースで話題に上がっているのは、6月26日にタレント・足立梨花と結婚した、ダンスや手話でパフォーマンスを行う音楽ユニット「HANDSIGN」のTATSUだ。同日、2人は都内の区役所に婚姻届を提...
記事全文を読む→明智光秀
坂本龍馬の名前を知らない日本人はほとんどいないだろう。薩長同盟の成立に尽力し、明治維新の礎を築いた幕末の志士である(写真は、京急・立会川駅付近にある龍馬像。20歳の時にこの地に住んでいた)。才谷梅太郎という変名もある坂本家の本家「才谷屋」は...
記事全文を読む→新型コロナウイルス対策で、「都道府県をまたいでの移動を控えるべし」と、お上からのお触れが出され、我々領民はいつ終わるともしれない「ステイホーム」の籠城戦を強いられてきた。各藩藩主(都道府県首長)の対応も様々だが、それぞれに、お国柄も見て取れ...
記事全文を読む→戦国を舞台にしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が好調だという。その仁義なき時代を彩った「奇襲」こそは、現代のビジネスシーンにも通じる「必勝戦法」である。「週刊アサヒ芸能」での長期連載「真説!日本史傑物伝」やテレビの歴史解説などでお馴染みの歴...
記事全文を読む→沢尻エリカの逮捕によって放送が延期されたNHK大河「麒麟がくる」が1月19日、ようやくスタートした。放送前のドタバタを吹き飛ばすかのように、高視聴率を記録している。初回の平均視聴率は19.1%をマーク。「いだてん~東京オリムピック噺~」で大...
記事全文を読む→歴史を動かしてきた賢人たちが行う健康法は意外にシンプルだ。自分の健康は自分で守る。現代でもマネてみたいものである。「『魏志倭人伝』に〈倭人は長命で、100歳あるいは80~90歳まで生きる〉とあります。女王・卑弥呼も80過ぎまで生きていたと推...
記事全文を読む→そんな両者の関係が急転直下し、謀反につながっていった理由は、信長の外交政策にあったという。唐入り、すなわち中国(当時は明)への進出である。変の3年前、1579年に、イエズス会アジア地区責任者の巡察師・ヴァリニャーニが来日し、少なくとも4回、...
記事全文を読む→2020年のNHK大河ドラマの主人公に決まった明智光秀。主君の織田信長を本能寺の変で討った謀反人というイメージが強い光秀を主役に据えた意外性が、歴史ファンの間で話題となっている。そんな中、光秀の子孫が、これまで不明とされてきた前半生を解明す...
記事全文を読む→公式な記録資料がなく、子孫の思惑によって「描かれる」ことも多い戦国武将の合戦絵巻。研究家たちが、歴史を動かした謀略の裏側を論破する。たびたび映画やドラマの題材になり、戦国マニアならずとも関心が高いのが「本能寺の変」(1582年)であろう。京...
記事全文を読む→SMAPの解散騒動で、すっかり裏切り者のイメージがついた“キムタク”こと木村拓哉。その影響なのか共演者探しにも苦労する有様で、来年1月期の主演ドラマ「BG~身辺警護人~」(テレビ朝日系)では未だにヒロインが決まらない状況だという。それもあっ...
記事全文を読む→明智氏が言う。「秀吉との戦を前に一人でも味方を確保したい光秀としては、義昭の上洛に対して特に断る理由もない。それゆえ『承諾しています』と返したにすぎません。光秀と義昭とが、あらかじめ連絡を取り合っていた証拠にはならないと思います。事実、この...
記事全文を読む→ここで、今一度、「本能寺の変」前後の情勢をひもといてみよう。足利義昭は、天正元(1573)年に、信長によって京都から追放されたあと、天正5年頃までは諸国の大名に自身の上洛について積極的に働きかけているが、そのあとは援護を毛利氏一本にしぼった...
記事全文を読む→なぜ織田信長は家臣の明智光秀に下剋上されたのか──日本史最大の謎の一つにまたもや新しい仮説が登場した。いわく「足利義昭の室町幕府を再興するのが目的だった」というのだ。新たな史料の発見でにわかに騒然となる一方、光秀の子孫が大胆な仮説に対して持...
記事全文を読む→なぜ織田信長は家臣の明智光秀に下剋上されたのか──日本史最大の謎の一つにまたもや新しい仮説が登場した。曰く「足利義昭の室町幕府を再興するのが目的だった」というのだ。今回、明智光秀の書状の原本の存在を発表したのは、三重大学の藤田達生教授(日本...
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