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記事全文を読む→「豊臣秀吉の影武者役」を押し付けられた武士がとんだ災難に!右腕を切り落とされたあげくに「恩賞なし」の無常
日々、命の危険に晒される戦国武将の多くに「影武者」がいたという話はよく聞く。甲斐の虎・武田信玄には一人ではなく複数人の影武者が存在していたし、江戸幕府を作った徳川家康は早い段階で歴史の波に飲み込まれ、世良田二郎三郎なる武士が家康として、死ぬまで振る舞っていたとの説がある。
天正10年(1582年)に本能寺の変で死亡した織田信長は、実は影武者だったといわれている。家康や信長とは違い、豊臣秀吉には影武者がいたという話はあまり聞かないが、実は影武者役を押しつけられて、とんだ災難に見舞われた戦国武将がいる。
犬飼家長の息子で、18歳になった永禄8年(1565年)から織田信長に、天正10年からは秀吉に仕えた、犬飼秀長なる人物だ。
信長の死の一報を聞いた秀吉が毛利に対する中国攻めの策を弄して休戦にもち込み、「中国大返し」をした。この際に秀長は、叔父の浅野長政の策により、秀吉の影武者になったといわれる。
休戦したとはいえ、信長の死亡が毛利サイドの耳に入れば休戦はご破算で、いつ攻撃が再開されるか分からない状況。それだけに、生きた心地はしなかっただろう。
この時はまんまと敵の目を欺いたが、あまりにその立ち振る舞いやいで立ちが似ていたのだろう。秀吉と明智光秀が激突した、天正10年の山崎の戦いの前哨戦で秀吉と間違えられ、秀長は光秀の軍勢に攻めかかられた。
山伏となって隠居し「右腕」は埋葬供養された
秀長は命こそなんとか助かったが、右腕を切り落とされてしまう。武士にとって右腕は大事だ。刀を抜くのも矢を射るのも、左手だけではどうにもならない。戦闘能力を失い、武士生命を絶たれたのである。
秀吉の身代わりを務めたのだから、通常はなんらかの恩賞が与えられても不思議ではない。ところが領土や金銭、役職などが与えられたという話は残っていない。
秀長はこの処遇に、世の無常を感じたのかもしれない。故郷の安
井村(現在の名古屋市北区辻町あたり)で山伏となって隠居し、人生をまっとうした。切り落とされた腕はこの地の辻村に「腕塚」として埋葬され、供養されたと伝わっているが、その地は開発され、今は残っていない。
(道嶋慶)
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