新宿、渋谷、池袋……休日に少し足を休めようとベンチを探し、「座れる場所がない」と驚いた経験はないだろうか。東京では今、「座るだけ」のことが、ちょっとした贅沢になっている。都内で働く40代のサラリーマンはこうこぼす。「昼休みに外へ出ても、座る...
記事全文を読む→早世のマドンナたち③ 夏目雅子 死の12年後に公開された幻のヌード秘話(1)
美しかった。美貌だけではなく、生き方そのものが一片のくもりもなく美しかった‥‥。デビューから10年も経たずに散った「ひまわり」は、今なお、男たちを魅了してやまない。豪邸に住む令嬢が芸能界の門を叩き、やがては大胆な見せ場にも挑んだ。令嬢は、いつしか〈炎の女優〉になったのだ─。
ためらいもなく“裸体”を披露
「雅子ちゃん、ちょっとバスタオルを外してみてくれる?」
CM撮影の合間に、写真家の田川清美は声をかけた。田川はまだアシスタントの身ではあったが、カネボウ化粧品のチュニジアロケに参加していた。
その問いかけに、浜辺でデッキチェアに座って休んでいた夏目雅子は、何のためらいもなくバスタオルを取り、田川が向けるカメラに笑顔を見せた。その上半身は、陽に焼けてはいるが完全な裸体である。
それは77年2月のことだった。正確には夏目ではなく、本名の小達雅子として参加した。当時は化粧品メーカーの商戦が激化しており、このCMが「夏の目玉商品」だったことから、公開時には「夏目雅子」と改名された。
当時、18歳の雅子が堂々と素肌を見せたことを、田川はこう話した。
「あのロケは日本からパリ、そしてチュニジアに渡るコースだった。それが、ちょっとした手違いから僕や雅子ちゃんなど何人かがパリで3日ほど足止めを食った。その待ち時間が縁で、彼女と家族ぐるみのつきあいになったんですよ」
このCMのディレクターを務めたのが、後に雅子の伴侶となる伊集院静だ。そして田川もライフワークとして、亡くなる直前まで雅子をフィルムに焼きつけてきた。夏目雅子として名前を知らしめた「クッキーフェイス」のCMは、同時に男たちとの深い縁をもたらした作品でもあった。
音楽プロデューサーの酒井政利もまた、同CMのテーマ曲を雅子が歌うということで作業をともにしている。「歌は結局、あの1枚きりでしたが、楽しそうにレコーディングしていました。プロの歌い手ではないけど、さわやかさがあふれていました」
公の場で再会したのはそれから7年後、酒井が長らく育ててきた郷ひろみと夫婦役で共演した映画「瀬戸内少年野球団」(日本ヘラルド)のロケだった。すっかり大人の女優になった雅子に、酒井は〈美人薄命〉という言葉が浮かんだが、それは1年後に現実のものとなってしまう‥‥。
こうした男たちと出会った当時、雅子は横浜・山手の高級住宅街にある250坪の邸宅に住んでいた。実家は六本木で輸入雑貨店を営んでおり、名門の東京女学館に小学校から短大まで通う「お嬢様」だった。
それでありながら、あわやバストトップが見えそうな「クッキーフェイス」のポスターは衝撃だった。田川は、その撮影を引き受けた雅子の「思い切りのよさ」を見た。
「もともとCMは、フランスの名優であるジャン・ポール・ベルモンドがメインで、雅子ちゃんは添え物的なコンテだった。ところが、海外ロケに出たとたん、ベルモンドがキャンセルしたと知らせが入って」
それは本当にアクシデントだったのか、あるいは最初からベルモンドなど存在しなかったのかは今もわからない。ただ、海外で雅子の露出が突然、アップしたことは事実である。
「海外ロケについて行きたいと言うほど心配していたお母さんに、彼女は電話することもなく、あのシーンを引き受けた。ここまで多くの人が動いている現場で、自分1人がイヤと言ってもしょうがないと腹をくくっていました」
田川は、相手の立場になって物事を考えられるのが夏目雅子の最大の魅力だと思った。
アサ芸チョイス
9月18日から20日までの「国内映画ランキング」(興行通信社調べ)が9月24日に発表された。9月18日に公開されている織田裕二主演の「踊る大捜査線N.E.W.メトロポリスを駆け抜けろ!」は、約14年ぶりのシリーズ最新作。初登場で2位にランク...
記事全文を読む→小栗旬が社長を務める芸能事務所「トライストーン・エンタテイメント」が9月28日に公式サイトで所属俳優・坂口健太郎をめぐる週刊誌報道の内容を否定する声明を発表した。〈その記事が元になり、想像に依る誹謗中傷や事実とは異なる内容の拡散等が見受けら...
記事全文を読む→韓国の京畿道城南市盆唐区(首都ソウルの南南東約20キロ)にある中華料理店「習近平」に中国人の4人組が秘かに押し入り、スプレー塗料やペンキをまき散らしながら店内の備品を破壊するという「ナゾに満ちた事件」が発生した。聯合ニュースをはじめとする複...
記事全文を読む→
