女子アナ

女子アナという生き方~連載第3回 阿部哲子「体当たりして福澤アナのろっ骨を折ったことも…」

 天然キャラと印象的な笑顔で日本テレビのアイドルアナとして活躍してきた阿部哲子。夫の海外赴任を契機に、フリーに転身。現在は、舞台にもチャレンジする一方、子育てにも奔走しているという。そんな彼女が「女子アナ時代」のとっておきのエピソードを初公開してくれた──。

「スッキリ」は私に合っていた

 元日本テレビ所属で現在フリーアナウンサーとして活躍中の阿部哲子(32)。在局中は「スッキリ!!」をはじめ看板アナとして活躍した彼女だが、女子アナになったいきさつがこれまた意外だ。
「大学3年の時に、友達にアナウンサーの募集があるから受けてみない? と誘われたのがきっかけでした。軽い気持ちで受けたら、合格して、『あら!? あら!? あら!?』という感じでした。それまで、まさか自分がマスコミに就職するなんて、考えてもみなかった。合格した理由ですか?私が聞きたいくらい(笑)。今にして思うと、パフォーマンスの試験がありまして、私は日本舞踊やジャズダンスもやっていたから、そのあたりがよかったのではないでしょうか。それに『絶対、合格したい!』という気負いもなかったし、リラックスしてできたのが功を奏したのかも」
 そう言って笑う彼女の笑顔は、とても爽やかで印象的。それだけで周りの雰囲気が華やぐ。アナウンサー試験に合格したのもうなずける。
 さて、合格したのはいいが、それからが大変。新人研修では苦労が絶えなかったという。
「アナウンス学院や養成所に通って受けた人が多い中、私の場合はしゃべるということを意識したことがなかったので、基礎から覚えるのが大変でした。研修のたびに『アクセントが違う!』と一言一句訂正されて、それが温かい注意やアドバイスとわかってはいても大きなストレスになって、しゃべるのが怖くなった時期もありました。アナウンサーとしてしゃべるってこんなに難しく、大変なことなのかとつくづく思い知らされました」
 こうした厳しい研修も乗り越え、初めて出演した番組が「CLUB☆T」というアメリカンフットボールの番組だった。
「別所哲也さんとTake2さんがレギュラーで、私はそこでMCアシスタントを務めさせていただきました。NFLのフットボールの試合を観ながら別所さんやTake2さんがコメントを入れていくんですけど、Take2さんのボケをうまく拾いながらVTRに行ったり、出演者の方々の会話をうまく回すことができなくて大変でした。今だったら自然にできることが、新人だったので進行に合わせるだけで、もういっぱいいっぱい。そのたびに落ち込んで、アナウンス室に戻ってこっそり泣いたこともありました。番組ディレクターには、あとから『あの時は、阿部をどうしようか悩んだよ』と言われました(笑)。でも、おかげさまで3年やらせていただいて、思い出深い番組です」
 日テレ時代でいちばん楽しかった仕事は、やはりレギュラーを務めた「スッキリ!!」だという。
「『スッキリ!!』が、いちばん私の性に合っていましたね。テリー伊藤さん、加藤浩次さんも、とてもいい方で仲よくさせていただきました。このおふたりがいたから、結婚後、主人と離れて暮らしていても寂しくなかったと言っても過言ではありません。スタッフも皆さん仲がよくて常に笑いが絶えない現場でしたね。
 いちばん仲のよかったアナウンサーは同期の杉上佐智枝さん。今でも一緒に食事に行きますね。恋愛話もしましたよ。彼女が結婚するという報告も、私がいちばん最初に受けましたし、私が妊娠したという報告も彼女にいちばん最初にしました」

尊敬してやまない福澤朗氏

 そんな阿部が尊敬してやまないのがフリーキャスターの大御所・福澤朗氏だという。彼女は福澤氏を「神のような存在」とまで評している。
「福澤さんはアナウンサーとしての完成度はもちろん、人間としてもとてもすばらしい方。初めてお仕事でご一緒させていただいたのが、『福澤一座』の一員に入れていただいた時のこと。その舞台で私が福澤さんに体当たりするシーンがあったのですが、勢い余って福澤さんの肋骨を折ってしまったらしいんです。それでも何も言わず福澤さんは舞台を務められ、本業であるアナウンサーのお仕事もされていました。私がそのことを知ったのはあとになってから。私の結婚式の時のスピーチで、福澤さんが笑い話としておっしゃって初めて知りました。私が気にするだろうからずっとナイショにしてくれていたんですね。結婚式の時に『あの時、実はね‥‥』と話してくれて、『うそー!』みたいな。それぐらい男気があって、懐の大きな方なんです」
 仕事のうえでも、ピンチを救ってくれたことが。
「流行性角結膜炎になってしまい、眼帯が外せなくなった時、福澤さんがみんなの前で『眼帯で出ちゃいなよ、1回出ちゃえば何にも怖くない、それで文句を言う人は誰もいないから』とおっしゃっていただき、無事、番組を務めることができました。彼の言うとおり視聴者からのクレームも一切ありませんでした。ピンチを救ってくれた、まさに神様のような存在です」
 こうして、すばらしい上司にも恵まれ「スッキリ!!」や「スポーツMAX」、トリノオリンピックの現地キャスターなど、多くの仕事を経験するうちに阿部は突然、フリーになる決心をする。
「フリーになった理由は夫が赴任していたバンコクに行くため。結婚後しばらくはお互い離れ離れで仕事を続けていたのですが、主人から『早くバンコクに来てほしい』と、たびたび催促をされていました。私も仕事にとても未練があり悩んだのですが、夫のいるバンコクに行く決意をしました」

宮城県知事を指さし「ママ」と…

 こうして07年9月に日本テレビを退社。夫の待つバンコクへ旅立った。あらためて、御主人とのなれ初めを聞いてみた。
「職場の同僚を介して主人と知り合いました。最初は顔見知り程度のおつきあい。でも、いつの間にか彼に何でも話すようになって。そのうえメール不精の私が彼にだけは、毎日メールしていたんです。そんな自分自身に驚いて、初めて彼を好きになっていたことに気がつきました。お互い忙しかったので、結婚前はデートらしいデートもあまりしませんでしたね。仕事のあとに数時間カフェで会うぐらいでした。交際して4年目に籍を入れました」
 入籍当時も夫は海外赴任していたため、婚姻届も阿部一人で提出したという。
「主人と一緒にいたくて退職したのですが、フリーになっていちばんよかったことは、子供に恵まれたこと! きっとあのタイミングで日テレを辞めなければ、今の息子には出会えなかったから。妊娠がわかった時は、豆みたいなおなかの子が、とてもいとおしかった」
 子供が産まれるとわかってから、ベビーマッサージの資格も取得。万全の態勢で出産に臨み、09年10月、バンコクで第一子を出産。
「最近、言葉を覚えだしていろんなものを指さして『パパ』『ママ』って言うんです。この前、何を勘違いしたのか、テレビに出ていた村井宮城県知事を指さして『ママ、ママ』って言うんですよ。似てるのかしら?(笑)。ベビーマッサージもよくやってあげていますよ。最近は『くすぐったい.』ってぐずる時もありますが(笑)。息子だけでなくママ友のお子さんにやってあげることもあります」
 出産後も変わらず抜群のプロポーションを維持する阿部。何か秘訣があるのか聞いてみた。
「週に1回ぐらいホットヨガをやっているんです。汗を大量にかいてスッキリしています。私、夢がありまして、それはホノルルマラソンに出場すること。今はまだ子育てに追われているので、なかなかマラソンの練習はできないのですが、いつかその夢をかなえたいですね。中学の時はテニスで市の大会で優勝したこともあるし、体を動かすのは、大好きなんです」
 さらに阿部は、日本舞踊20年のキャリアの持ち主でもある。そんな彼女がフリーになって、いちばん楽しい仕事が舞台だという。
「昨年、演劇集団キャラメルボックスさんが公演された『シラノ・ド・ベルジュラック』という舞台にヒロインのロクサーヌ役で出演させていただきました。そして、あらためて舞台ってなんてすばらしいの! と実感しました。舞台はダイレクトに観客の反応がわかるのが醍醐味です。お客さんが感動して泣いて鼻をすする音まで伝わってくるんです。反応が直に伝わってくれることが、うれしくもあり怖くもあり、とても刺激的。お芝居は未知の世界だったので日々チャレンジ、そして日々挫折。お芝居を通じて人生は挑戦し続けなきゃつまらないな、と思いました」

いつか悪女も演じてみたい

 フリーになってから1年半ぶりに日テレの「ラジかるッ」に出演。
「久しぶりに実家に帰ってきたような気分でした。汐留の社屋が、とても懐かしくて。他にも今は、J─COMチャンネルの『ステキ+Life』でメインMCを務めさせていただいています。この番組は、ファッションやグルメなど日々のライフスタイルにプラスになるような、さまざまな分野の専門家を毎回ゲストに招いてお話を聞くというもの。この番組を通じて、私自身、今まで触れたことのなかった分野にも興味が湧いてきました。例えば、細かい作業が苦手で不器用な私ですが、ゲストに手芸の先生が来てくださって縫いぐるみの作り方を教えてもらったり、石鹸を彫ってバラの形を作ったり、スタジオでいろいろな体験をさせてもらっています。もちろん失敗もしますが、楽しいですし、何事もやはり挑戦ですからね!」
 テレビの仕事も舞台も、〝何事も挑戦〟が大事だと語る阿部。舞台では新たに演じてみたい役どころがあるという。
「すっごい悪女。ドロドロした恋愛ものとか、実生活では味わえないストーリーの役どころを演じてみたいですね。テレビでも挑戦したいことはたくさんあります。子供がもう少し大きくなったら、子供が観て喜ぶ番組にも出たいですね。テレビを観て息子が『ママだ!』と言ってくれたら最高ですね」
 ところで、阿部にとって女子アナとは?
「私個人の考えですが、女子アナは、制作側と出演者の橋渡しだと思っています。制作側の意向を出演者にうまく伝え、番組をスムーズに進められる雰囲気作りをすることが、私たちの大事な役目。今後もそのことを頭に置いて、番組作りに励んでいきたいと思います」
 また、今年の3月に起きた東日本大震災を体験して、女性アナウンサーとして、子を持つ母親として、阿部は仕事への意識が強まったという。
「一刻も早く東北の皆さんが健康に安心して暮らせる環境になることを願っています。私も少しでも東北の力になれるよう、そのために仕事を続け、この先も長く支援できる環境を整えたいと強く思っています」
 女子アナであり、そして母である阿部哲子。そのチャレンジ精神は尽きることがない。

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