高倉健

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Posted on 2015年02月02日 09:57

任侠映画の時代から活躍する監督・中島貞夫は、マキノ雅弘に師事したこともあり、高倉とのつきあいは古い。初めて監督として撮ったのは、村田英雄主演の「男の勝負」(66年、東映)だった。「マキノが倒れちゃったから、僕が代わりに撮ることになって。当時...

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Posted on 2015年02月02日 09:56

「これが本物のハリウッドか‥‥」優作が少年のように感激の声を上げた。いや、それは高倉も同じであった。撮影の合間に優作と高倉が監督のリドリー・スコットに誘われ、訪れたスタジオでのことだった。そこでは名作「アラビアのロレンス」(62年、コロムビ...

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Posted on 2015年02月02日 09:55

少年はいつも、海の向こうに憧れていた。福岡の炭鉱町に生まれた少年は、いつの日か、密航してでも外国へ行ってみたいと願った‥‥。そんな幼き日の夢は、高倉健という一流の俳優になって実現する。世界の映画人が頂点と声をそろえる「ハリウッド」において、...

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Posted on 2015年01月26日 09:57

〈乗客1500人の生命をのせて、かつてない恐怖と緊迫危険がノン・ストップで疾走する──〉関根忠郎が映画の新聞広告用に書いた惹句(宣伝コピー)である。期待感が高まったストーリーは以下である。──新幹線ひかり109号に仕掛けられた爆弾は、時速8...

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Posted on 2015年01月26日 09:56

「新幹線大爆破?そんな映画には協力できない」それが国鉄(現JR)の回答だった。日本の先進技術の結晶である新幹線が、そんなタイトルの映画のためにイメージダウンさせられてはかなわない。まして、模倣犯が出現しようものなら──というのが国鉄側の見解...

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Posted on 2015年01月26日 09:55

高倉健の60年近い俳優人生には、いくつもの節目があった。初めて顔にドーランを塗って涙した日、扉が閉まらないほどの観客が喝采を送った日、日本最高の主演男優賞や動員記録を打ち立てた日、ハリウッドに進出した日‥‥。そんな表層的な出来事の一方で、ひ...

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Posted on 2015年01月19日 09:57

高倉の東映時代の最終作品であり、文太とも最後の共演になったのが「神戸国際ギャング」(75年)である。俊藤浩滋プロデューサーの幼なじみだった“ボンノ”こと元三代目山口組若頭補佐・菅谷政雄をモデルにしたものである。脚本を手掛けたのは松本功である...

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Posted on 2015年01月19日 09:56

「考え直してください!」急を聞きつけ、東映の重役が北海道まで飛んできた。安藤が旭川から札幌に向かうのに時間がかかったため、東京からの便が先に着いたのだ。それでも安藤の答えは変わらない。「男がいったんケツをまくったんだ。はい、そうですかとはい...

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Posted on 2015年01月19日 09:55

戦後の暴力史に名を刻んだ元安藤組・安藤昇組長は、組を解散後に俳優の道を選ぶ。重厚な斬れ味と端正な顔立ちは映画界にとっても貴重な存在であり、やがて「不良性感度」を重視する東映へ迎えられる。東映に移籍した年、時代は「任侠映画」「高倉健」を中心に...

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Posted on 2015年01月13日 09:57

「パリの病院で目撃談がありますが?」「同性愛についてはどう考えますか?」およそ映画の製作発表と思えない辛らつな質問が飛び交った。その1カ月ほど前、突如として高倉に「パリでエイズ死」の噂が飛び交っていたのだ。岡田によれば、根も葉もない噂を打ち...

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Posted on 2015年01月13日 09:56

出世作となった「昭和残侠伝」は、実は思いがけぬ内紛も勃発させた。高倉主演のシリーズ作としては、その前年に東映京都が製作した「日本侠客伝」(64年)がある。東映京都のメイン脚本家・笠原和夫は、自分が書いたものの盗作ではないかと東京撮影所の吉田...

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Posted on 2015年01月13日 09:55

高倉健の俳優人生は、大きく3つの時期に分けられる。ヒット作に恵まれなかった若手時代、大スターに躍り出て撮影に明け暮れた時代、そしてフリーとなって作品を吟味するようになった時代──。いずれにおいても映画への取り組みに手を抜いたことはないが、火...

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Posted on 2015年01月05日 09:57

また、59年に節分会に招かれたのを機に、長野・善光寺には、30年以上も、節分の日の参詣を続けたという。善光寺関係者が言う。「アフリカでロケ中の時も、この日には参詣のために帰国したほど。周りに迷惑がかからないよう深夜に寺を訪れていましたが、い...

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Posted on 2015年01月05日 09:56

「高倉さんは撮影前・後のお礼参りなど、事あるごとに寒川神社を参拝し、一心に祈りをささげていました。一般の参拝者に迷惑がかからないよう、早朝や夜などの時間帯を選び、たった1人で訪れていたそうです」こう話すのは、宗教哲学・民俗学が専門の京都大学...

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