「寡黙」や「不器用」のイメージが先行する健さんだが、素顔は気さくで、ちゃめっ気もたっぷり。意外な特技に「催眠術」があり、弟分の小林稔侍などは、すぐに引っ掛かると喜んでいたこともあった。ヒット作「幸福の黄色いハンカチ」(77年)で俳優デビュー...
記事全文を読む→高倉健
昭和31年に銀幕デビューした高倉健は、以来、孤高の俳優として生涯を過ごした。晩節を汚すことなく、一貫したイメージを崩すことなく、盟友たちから深く愛され続けた。「健さんはわたくしの俳優人生を支えてくれた俳優であり、人生においても俳優としても唯...
記事全文を読む→不器用で寡黙な気質さながらに、私生活の大半は謎。だがその実態は、映画界きっての「惚れられ男」だった。封印された華麗な「女性遍歴」を追悼発掘する。高倉は一度だけ結婚していたことがある。56年の映画「恐怖の空中殺人」での共演を機に、歌手の江利チ...
記事全文を読む→性別、年代を超えて、その凛とした姿は憧れの存在だった高倉健さん(享年83)。無類のコーヒー好きでも知られていたが、そのコーヒーが健さんの活力の元だったという説がある。カウンターで1人物静かにコーヒーを飲む。そんなシーンが絵になる男性はこの人...
記事全文を読む→今月10日に83歳で死去した高倉健さん。しかしマスコミがその死を報じたのは、18日になってからのこと。個人事務所である高倉プロモーションから、マスコミ各社宛てにファックスで報告されてのものだった。しかしその数日前から、高倉さんの死をめぐって...
記事全文を読む→映画、ドラマなど300本を超す作品に出演した夏八木勲。近年はいぶし銀の演技で名脇役として名を残し、膵臓ガンで帰らぬ人となった。角川映画の黄金時代、公私にわたり親交のあった角川春樹氏(71)が、知られざる役者バカ人生を語った──。夏八木くんの...
記事全文を読む→「体罰」「かわいがり」。そんなネガティブな言葉で語られることが多い昨今の上下関係。しかし、本来は熱い信頼で結ばれるのが「師弟」というもの。時代は「キズナ」だ。知る人ぞ知る、著名人たちの語りたくなる「師弟愛」をお届けしよう。芸能界にはひと言で...
記事全文を読む→高岩にとって特別な思いのある女優といえば、檀ふみである。高岩が「ふみ」と親しみを込めた口調で彼女を呼ぶのは、檀ふみの父であり、作家の檀一雄が、高岩の異父兄だからである。檀ふみは、高岩の姪にあたる。檀ふみが初めて出演した映画が、高倉健の「昭和...
記事全文を読む→観る者に強烈なインパクトを与える映画の中の“悪”。中でも映画史上に燦然と輝く「ベスト・オブ・悪役」を、業界きっての悪役ツウ・映画評論家の秋本鉄次氏が選出する!*まず秋本氏が真っ先にあげるのは、ハリウッド映画「ブラック・レイン」(89年)の松...
記事全文を読む→高岩が東映に入社した54年は、東映時代劇の全盛期だった。京都撮影所では1日に7~8本の映画を同時に撮影するのも当たり前で、撮影所に泊まり込む毎日を送っていたという。「撮影所に入ってみて驚いたのは、まるで江戸時代がそのまま続いているかのような...
記事全文を読む→高度経済成長期の日本映画を牽引した東映の京都撮影所。映画界のキャリアをそこからスタートさせ、「荒磯に波」のトップに君臨したのが高岩淡元会長である。高倉健、檀ふみ、そして深作欣二──人生をフィルムとともに歩んだ名プロデューサーだけが知る、スタ...
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