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記事全文を読む→追悼・高倉健 銀幕を共にした盟友が語る「高倉健」という人物(1)千葉真一が明かす義理堅さ
昭和31年に銀幕デビューした高倉健は、以来、孤高の俳優として生涯を過ごした。晩節を汚すことなく、一貫したイメージを崩すことなく、盟友たちから深く愛され続けた。
「健さんはわたくしの俳優人生を支えてくれた俳優であり、人生においても俳優としても唯一、尊敬し続けた方でした」
儀礼的な追悼ではなく、俳優・千葉真一は心から悲しみをあらわにする。もし、高倉がいなければ、自分の役者生命も終わっていたかもしれない、とまで千葉は言う。
「60年代の半ば、当時の東映は労働争議が激しく、夕方の5時になると暗黙の了解で撮影をやめなきゃいけない。でも、役者の呼吸としては、そこで終われないこともあるんです」
千葉は撮影続行を進言し、そのことで労働組合委員長とつかみ合いになった。まだ新人の千葉は、組合にたてついたことでクビを覚悟した。
「そしたら健さんが僕を連れて、組合や社長に頭を下げてくれたんですよ。それで引退することもなくなった。健さんには『会社があって、社長がいて、俺たちは給料をもらう立場だということを忘れるな』と教えられました」
そんな健さんと同学年で、同じ福岡の出身なのが東映京都撮影所長、東映社長を歴任した高岩淡氏だ。
「義理と人情、誠実──本当にそんな人だったよ」
高岩氏はその性格を「若手や裏方にも分け隔てなく接するが、裏切りには怒る」と分析。
「高校の後輩だという生徒が健さんに憧れて『親を捨ててもあなたの下で働きたい』と訴えたことがあった。これには『親父、お袋はいちばん大事な人。そういうことは絶対に言うな』と叱責していました」
高倉は東映を離れた直後に実父を亡くしているが、葬儀には駆けつけられなかった。この時、高倉を思い、高岩氏が京都から急行に乗って福岡での葬儀に参列した。しばらくして高岩氏の母親が亡くなると、高倉が真夜中の通夜に訪れ、ひっそりと帰っていった。
「健さんが19年ぶりに東映で主演した『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)は20億円を超える興行収入。映画界の総意として、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を取ってほしかった」(高岩氏)
ところが、すでに3度の受賞歴がある高倉は「若い人に譲りたい」と辞退の意向を漏らす。当時、日本アカデミー賞協会会長を務めていた高岩氏は、日本映画界の発展のためにと懇願した。
「映画界のお役に立てるならばと、当時、私が住んでいたマンションの前までやって来て、家には上がらずに携帯電話から『喜んでお受けします』と伝えてくれたんですよ」(高岩氏)
合計4度の主演男優賞は、今後も破られない記録であろう。
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