芸能

追悼・高倉健 銀幕を共にした盟友が語る「高倉健」という人物(1)千葉真一が明かす義理堅さ

20141204e

 昭和31年に銀幕デビューした高倉健は、以来、孤高の俳優として生涯を過ごした。晩節を汚すことなく、一貫したイメージを崩すことなく、盟友たちから深く愛され続けた。

「健さんはわたくしの俳優人生を支えてくれた俳優であり、人生においても俳優としても唯一、尊敬し続けた方でした」

 儀礼的な追悼ではなく、俳優・千葉真一は心から悲しみをあらわにする。もし、高倉がいなければ、自分の役者生命も終わっていたかもしれない、とまで千葉は言う。

「60年代の半ば、当時の東映は労働争議が激しく、夕方の5時になると暗黙の了解で撮影をやめなきゃいけない。でも、役者の呼吸としては、そこで終われないこともあるんです」

 千葉は撮影続行を進言し、そのことで労働組合委員長とつかみ合いになった。まだ新人の千葉は、組合にたてついたことでクビを覚悟した。

「そしたら健さんが僕を連れて、組合や社長に頭を下げてくれたんですよ。それで引退することもなくなった。健さんには『会社があって、社長がいて、俺たちは給料をもらう立場だということを忘れるな』と教えられました」

 そんな健さんと同学年で、同じ福岡の出身なのが東映京都撮影所長、東映社長を歴任した高岩淡氏だ。

「義理と人情、誠実──本当にそんな人だったよ」

 高岩氏はその性格を「若手や裏方にも分け隔てなく接するが、裏切りには怒る」と分析。

「高校の後輩だという生徒が健さんに憧れて『親を捨ててもあなたの下で働きたい』と訴えたことがあった。これには『親父、お袋はいちばん大事な人。そういうことは絶対に言うな』と叱責していました」

 高倉は東映を離れた直後に実父を亡くしているが、葬儀には駆けつけられなかった。この時、高倉を思い、高岩氏が京都から急行に乗って福岡での葬儀に参列した。しばらくして高岩氏の母親が亡くなると、高倉が真夜中の通夜に訪れ、ひっそりと帰っていった。

「健さんが19年ぶりに東映で主演した『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)は20億円を超える興行収入。映画界の総意として、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を取ってほしかった」(高岩氏)

 ところが、すでに3度の受賞歴がある高倉は「若い人に譲りたい」と辞退の意向を漏らす。当時、日本アカデミー賞協会会長を務めていた高岩氏は、日本映画界の発展のためにと懇願した。

「映画界のお役に立てるならばと、当時、私が住んでいたマンションの前までやって来て、家には上がらずに携帯電話から『喜んでお受けします』と伝えてくれたんですよ」(高岩氏)

 合計4度の主演男優賞は、今後も破られない記録であろう。

カテゴリー: 芸能   タグ: , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    デキる既婚者は使ってる「Cuddle(カドル)-既婚者専用マッチングアプリ」で異性の相談相手をつくるワザ

    Sponsored

    30〜40代、既婚。会社でも肩書が付き、責任のある仕事を担うようになった。周囲からは「落ち着いた」なんて言われる年頃だが、順調に見える既婚者ほど、仕事のプレッシャーや人間関係のストレスを感じながら、発散の場がないまま毎日を過ごしてはいないだ…

    カテゴリー: 特集|タグ: , |

    「王座戦」初防衛に王手をかけた「鬼神・藤井聡太」の勝利の方程式は「パイナップル・キノコ抜き・室温20度」

    いくら漫画でも、こんな展開は描けない。将棋の第72期王座戦5番勝負第2局が9月18日、名古屋市の名古屋マリオットアソシアホテルで行われ、午前9時の対局開始からわずか30分で76手まで進む「AI超速将棋」を藤井聡太七冠が制して2連勝。王座戦初…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , , |

    コレクター急増で価格高騰「セ・パ12球団プロ野球トミカ」は「つば九郎」が希少だった

    大谷翔平が「40-40」の偉業を達成してから、しばらくが経ちました。メジャーリーグで1シーズン中に40本塁打、40盗塁を達成したのは史上5人目の快挙とのこと、特に野球に詳しくない私のような人間でも、凄いことだというのはわかります。ところで、…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , |

注目キーワード

人気記事

1
派兵10万人超に!万単位の前線戦死者続出で「金正恩斬首クーデター」が勃発/北朝鮮「ウクライナ大派兵」の断末魔【後編】
2
あぁ牧秀悟が…下剋上「日本シリーズ進出」DeNAに巨人ファンの恨み節が止まらない「2020年のドラフト会議」
3
強制収容所より恐ろしい「北朝鮮将校6名爆死」で前線から兵士が逃げ出した/北朝鮮「ウクライナ大派兵」の断末魔【前編】
4
49戦して21敗「戦国最弱大名」は生涯落城経験9回の「弱い方のオダ」
5
オリックス監督を退任した中嶋聡が「日本ハムの次の監督候補」に加わった「過去の恩義」