織田裕二の目薬のCM「キター!」のモノマネで大ブレイク。その後も続々とオリジナリティあふれるモノマネを生み出している山本高広。今後さらに活動の幅を広げるべく、みずから個人事務所を立ち上げ、フリーで活動を開始した。その才能を大絶賛する天才テリ...
記事全文を読む→渡哲也
9月16日に放送された「A-Studio+」(TBS系)に、この日、全国公開された映画「ヘルドッグス」で主人公を演じ、アクションの振りつけも務めた岡田准一が出演した。番組では、事前インタビューで監督の原田眞人らが撮影中のエピソードを披露。カ...
記事全文を読む→タレント・みのもんたが3月7日放送の「朝からみのもんた」(読売テレビ)で、ニューヨークと東京でたまたま出会ったオノ・ヨーコとのエピソードを語った。前回の同番組で、王貞治氏のWBC優勝ボール、故・渡哲也さんの直筆の手紙を“超貴重コレクション”...
記事全文を読む→渡哲也(享年78)の訃報は、日本中に哀切をもたらした。ずっと兄貴分と慕った苅谷俊介(73)が、人気ドラマのエピソードとともに「師」との交友を語る。──映画デビューが71年で、石原プロモーションには74年に入社されていますね。苅谷あの頃の石原...
記事全文を読む→「大都会」「西部警察」の主役だった渡哲也に続き、「太陽にほえろ!」の4代目新人刑事・ボンを演じた宮内淳も8月14日に亡くなっていたことがわかった。いずれも“昭和の刑事ドラマ”で鮮烈な印象を残し、今なお多くのファンを魅了している。渡を慕って「...
記事全文を読む→「やっぱり貫禄あったね」先日、自身のレギュラー番組「新・情報7daysニュースキャスター」の中で、俳優・渡哲也さんとの思い出を聞かれた殿は、まず北野映画「BROTHER」に出演された時の思い出を振り返ったのです。「BROTHER」撮影時、“...
記事全文を読む→一方で、渡の人生には常に病魔がつきまとった。日下部プロデューサーの「仁義なき戦い」の申し出は体調不良を理由に固辞し、菅原文太の出世作となる。渡は主演ドラマ「忍法かげろう斬り」(72年、フジテレビ系)も途中降板し、弟の渡瀬恒彦が代役を務めた。...
記事全文を読む→2人の間の障壁となったのは、吉永の父親だった。「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対。吉永につきまとって、渡を近寄らせなくしたのだった。吉永は渡との結婚を認めてもらおうと再三、両親の説得を試みたものの、抗しきれず。「吉永...
記事全文を読む→「ボス」亡きあと、石原軍団を率いてきた渡哲也が、8月10日に他界していたことがわかった。たび重なる病魔を乗り越え、軍団の生活を守るために、私財をもなげうった。最後まで「男の筋」を貫き、軍団に尽くし、逆境をはねのけてきた無頼俳優の生き様とは─...
記事全文を読む→8月10日に肺炎のため78歳で逝去した渡哲也さんに向けて、女優の羽田美智子が8月17日にブログを更新し、追悼の文書を寄せた。羽田は2007年に放送された渡主演ドラマ「おいしいごはん鎌倉・春日井米店」(テレビ朝日系)で、渡の娘役として出演。羽...
記事全文を読む→「ここ最近は、足腰もかなり衰弱していて、酸素吸入器を手放せない状態が続いていました。そのため、6月に行われたCMのナレーション収録は自宅で行われました」こう振り返るのは、渡哲也さんと生前に親交のあった芸能関係者だ。今月9日に容態が急変し、緊...
記事全文を読む→石原プロは設立当初、裕次郎の意向もあって映画製作をメインとして活動していた。その中で「黒部の太陽」(三船プロとの共同製作)、「太平洋ひとりぼっち」などの話題作を放ったが、一方で映画産業の斜陽化もあって、一説には8億円とも言われる借金を背負っ...
記事全文を読む→「石原軍団」の異名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもって幕を閉じる。ボス・石原裕次郎から始まって、代貸・渡哲也へとバトンがつながれて58年。男たちが刻みつけた武勇伝をあらためて振り返ろう。石原プロモーションは1963年、当時...
記事全文を読む→「石原軍団」の名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもってその名に幕を閉じる。石原プロは1963年、当時日活に所属していた石原裕次郎が個人事務所として設立した。そこへ裕次郎を敬愛する渡哲也や、その渡を兄のように慕う舘ひろしが加入...
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