昭和を彩った名優・石原裕次郎(1987年没)の誕生日は、1934年12月28日。今年は生誕90年にあたる。織田裕二主演のドラマ「踊る大捜査線」(フジテレビ系)では、北村総一朗、斉藤暁とともに「スリーアミーゴス」としてコミカルな役どころを演じ...
記事全文を読む→石原裕次郎
世間と同様、役者の世界にも厳しい上下関係は存在する。ところが時には、予想を覆す対応の先輩俳優が登場することも。ドラマ現場での驚くべきエピソードを明かしたのは、俳優・歌手の中村雅俊だ。関根勤のYouTubeチャンネル〈関根勤チャンネル〉に出演...
記事全文を読む→10月30日、東京・国立映画アーカイブで開催中の「月岡夢路井上梅次100年祭」レセプションのトークショーに大地真央、高橋真梨子、浅丘ルリ子が出演(舘ひろしはビデオメッセージのみ)した。浅丘は17歳の時、映画出演11作目の「鷲と鷹」(1957...
記事全文を読む→「私はね、52歳で死ぬんだと思っていたから、52歳になった時が怖かったですよ」伊東四朗がこんなことを語ったのは今年4月、「親父・熱愛(オヤジ・パッション)」(文化放送)でのことだった。伊東、ラジオの帝王・吉田照美、水谷加奈アナの掛け合いで2...
記事全文を読む→テリー当時、恋愛とかはできたんですか。浜田恋愛っていうのはあんまりしなかったですね。夢中で映画に取り組んでて。テリーでも、石原裕次郎さんや小林旭さんが銀座とかで豪快に飲んでたっていう話はよく聞くじゃないですか。浜田僕はそんなことはしないです...
記事全文を読む→「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵が、11月7日放送の「上沼・高田のクギヅケ!」(読売テレビ)に出演。人気番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した際の失敗談を明かした。番組中、ゲストがお酒にまつわる失敗談を披露することに。そこで上島がかつて「...
記事全文を読む→2人の間の障壁となったのは、吉永の父親だった。「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対。吉永につきまとって、渡を近寄らせなくしたのだった。吉永は渡との結婚を認めてもらおうと再三、両親の説得を試みたものの、抗しきれず。「吉永...
記事全文を読む→“マイトガイ”の愛称で知られ、歌手としても活躍を続ける大物俳優・小林旭。芸能生活65年、御年81歳YouTubeデビューしていた。1955年に第3期日活のニューフェイスに合格した小林氏は翌年、「飢える狼」で映画デビュー。その後、映画「渡り鳥...
記事全文を読む→輝かしき50年代映画黄金期に「肉体シリーズ」で日活を支えた筑波久子(80)。昭和の妖艶スターが、映画に命をかけた日々を回想する。「昨日は五浦観光ホテルを手伝っていてね。ありがたいことに、お客様がたくさんいらして大変だったのよ」北茨城市の五浦...
記事全文を読む→石原軍団の現在の中核といえば、社長の渡、舘、そして神田正輝(69)だ。どちらかというと、舘が渡に心酔しているのに対して、裕次郎派と言われているのが神田。それだけに、人生の一大転機にも裕次郎のひと言があった。「映画『カリブ・愛のシンフォニー』...
記事全文を読む→石原プロは設立当初、裕次郎の意向もあって映画製作をメインとして活動していた。その中で「黒部の太陽」(三船プロとの共同製作)、「太平洋ひとりぼっち」などの話題作を放ったが、一方で映画産業の斜陽化もあって、一説には8億円とも言われる借金を背負っ...
記事全文を読む→「石原軍団」の異名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもって幕を閉じる。ボス・石原裕次郎から始まって、代貸・渡哲也へとバトンがつながれて58年。男たちが刻みつけた武勇伝をあらためて振り返ろう。石原プロモーションは1963年、当時...
記事全文を読む→「石原軍団」の名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもってその名に幕を閉じる。石原プロは1963年、当時日活に所属していた石原裕次郎が個人事務所として設立した。そこへ裕次郎を敬愛する渡哲也や、その渡を兄のように慕う舘ひろしが加入...
記事全文を読む→どんな窮地に立たされても、ただじゃ転ばない。小林旭の代名詞である「マイトガイ」という呼称どおりの豪胆さは、デビュー当時から備わっていたものだ。「石原裕次郎(享年52)らとともに日活アクション映画の黄金期を作り上げました。でも、旭と裕次郎には...
記事全文を読む→