昨年末の「NHK紅白歌合戦」で特別企画として16年ぶりに出場し、往年の大ヒット曲「ルビーの指環」を歌唱した寺尾聰。コーナー司会を務めた黒柳徹子と音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)時代を振り返り、渋く歌い上げるその姿は、中高年のハートをグ...
記事全文を読む→石原プロ
渡哲也(享年78)の訃報は、日本中に哀切をもたらした。ずっと兄貴分と慕った苅谷俊介(73)が、人気ドラマのエピソードとともに「師」との交友を語る。──映画デビューが71年で、石原プロモーションには74年に入社されていますね。苅谷あの頃の石原...
記事全文を読む→ワイドショーで新型コロナと酷暑の話題が「主役」になる中、芸能ニュースは埋もれることもしばしば。が、水面下では大きな動きが!人気タレントへの選挙打診、視聴率女王の渡米断念、老舗事務所の次なる退所候補‥‥。コロナ禍でひそかに流れる「スクープ」詰...
記事全文を読む→2人の間の障壁となったのは、吉永の父親だった。「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対。吉永につきまとって、渡を近寄らせなくしたのだった。吉永は渡との結婚を認めてもらおうと再三、両親の説得を試みたものの、抗しきれず。「吉永...
記事全文を読む→「ボス」亡きあと、石原軍団を率いてきた渡哲也が、8月10日に他界していたことがわかった。たび重なる病魔を乗り越え、軍団の生活を守るために、私財をもなげうった。最後まで「男の筋」を貫き、軍団に尽くし、逆境をはねのけてきた無頼俳優の生き様とは─...
記事全文を読む→「ここ最近は、足腰もかなり衰弱していて、酸素吸入器を手放せない状態が続いていました。そのため、6月に行われたCMのナレーション収録は自宅で行われました」こう振り返るのは、渡哲也さんと生前に親交のあった芸能関係者だ。今月9日に容態が急変し、緊...
記事全文を読む→石原軍団の現在の中核といえば、社長の渡、舘、そして神田正輝(69)だ。どちらかというと、舘が渡に心酔しているのに対して、裕次郎派と言われているのが神田。それだけに、人生の一大転機にも裕次郎のひと言があった。「映画『カリブ・愛のシンフォニー』...
記事全文を読む→石原プロは設立当初、裕次郎の意向もあって映画製作をメインとして活動していた。その中で「黒部の太陽」(三船プロとの共同製作)、「太平洋ひとりぼっち」などの話題作を放ったが、一方で映画産業の斜陽化もあって、一説には8億円とも言われる借金を背負っ...
記事全文を読む→「石原軍団」の異名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもって幕を閉じる。ボス・石原裕次郎から始まって、代貸・渡哲也へとバトンがつながれて58年。男たちが刻みつけた武勇伝をあらためて振り返ろう。石原プロモーションは1963年、当時...
記事全文を読む→「石原軍団」の名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもってその名に幕を閉じる。石原プロは1963年、当時日活に所属していた石原裕次郎が個人事務所として設立した。そこへ裕次郎を敬愛する渡哲也や、その渡を兄のように慕う舘ひろしが加入...
記事全文を読む→石原軍団に重くのしかかる懸案事項が高齢化だ。そのため、3人の看板俳優に代わる役者の育成は重要かつ切迫した課題だった。00年には新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で徳重聡(40)がグランプリを獲得したが、イマイチお茶の間に...
記事全文を読む→名門の芸能プロダクションとして知られる石原プロは、63年1月に裕次郎が設立。映画「黒部の太陽」(日活)やドラマ「西部警察」(テレビ朝日系)など骨太のヒット作を手がけてきた。87年に裕次郎が亡くなったあと、渡が社長に就任。舘や神田といった所属...
記事全文を読む→7月17日に行われる「石原裕次郎三十三回忌」を目前にして、名門の石原プロモーションが揺れている。“大番頭”の渡哲也の健康状態が危惧され、「解散説」が浮上。看板俳優の高齢化も懸念される中、一部週刊誌の報道をきっかけに、鉄の結束でまとまる石原軍...
記事全文を読む→7月17日に行なわれる「石原裕次郎三十三回忌」を目前にして、名門の石原プロモーションが揺れている。“大番頭”の渡哲也(77)の健康状態が危惧される中で騒動は起きた。「『石原軍団はもう解散する』と書かれていたのですが、事務所の今後については話...
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