コメディアン、タレントの小松政夫さんが、12月7日、肝細胞ガンのため東京都三鷹市の病院で亡くなった。享年78歳。生前はザ・ドリフターズとのコントや、「小松の親分さん」「しらけ鳥音頭」「電線音頭」など伊東四朗と見せたコンビ芸は秀逸で、今も我々...
記事全文を読む→植木等
テリーそういう優しくて真面目な一面があるのに、テレビや映画での植木さんは圧倒的におもしろくて、くだらなかったじゃないですか。あれは何だったんですかね?小松ハハハ、映画に関して言えば、やっぱり古澤憲吾監督のせいでしょうね。ほとんど乗馬経験のな...
記事全文を読む→テリー小松さんは、なんで植木さんの弟子になることを選んだんですか?小松植木にも同じことを聞かれました。でも、そんなこと言われても、自分でもよくわからない。だから「“こっちがいいか、あっちがいいか”と考えて、こっちに来ました」と言いました。そ...
記事全文を読む→●ゲスト:小松政夫(こまつ・まさお)1942年、福岡県生まれ。自動車のセールスマン時代に、雑誌で植木等の付き人募集広告を見つけて応募。約600人の中から選ばれ、64年、植木等の付き人兼運転手となる。役者志望だったことを知ったクレージーキャッ...
記事全文を読む→小松政夫は植木の付き人を3年ほど務めたが、1度も頭ごなしに怒鳴られたことがない。いつも植木に喜んでもらうことだけを念頭に置き、車の運転にも身の回りの世話にも励んだ。それでも、ある事情で1度だけ怒鳴られたと明かす。「これは初めて話すことなんだ...
記事全文を読む→コメディアンの小松政夫は、全国トップの売り上げを誇る車のセールスマンだった。現在の金額で月収100万円は下らなかったが、その収入を捨てて、大好きな植木等の付き人になった。昭和39年、植木とクレージーの人気が頂点に達していた頃である。「テレビ...
記事全文を読む→ニッポンの元気印は、間違いなく「植木等」に集約される。誰もが明るい未来を信じていた60年代、スイスイスーダララッターと鼻歌を歌い、高度経済成長期の水先案内人となった。戦後芸能界のスーパースターの死から10年、今こそ閉塞感に満ちた世の中に、あ...
記事全文を読む→「体罰」「かわいがり」。そんなネガティブな言葉で語られることが多い昨今の上下関係。しかし、本来は熱い信頼で結ばれるのが「師弟」というもの。時代は「キズナ」だ。知る人ぞ知る、著名人たちの語りたくなる「師弟愛」をお届けしよう。芸能界にはひと言で...
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