1990年の天龍源一郎らの選手、レフェリー、スタッフの大量離脱で存亡の危機に立たされた全日本プロレス。しかし、怪物的な強さを発揮するジャンボ鶴田に三沢光晴、川田利明、小橋健太(現・建太)らの超世代軍が真正面から挑む新たな図式は若いファンの共...
記事全文を読む→ジャンボ鶴田
1990年は全日本プロレスにとって試練の年だった。4月にトップレスラーだった天龍源一郎がメガネスーパーの新団体SWSに引き抜かれ、その後、谷津嘉章、ザ・グレート・カブキらもSWSへ。最終的に14人もの選手、レフェリー、スタッフが引き抜かれて...
記事全文を読む→1987年春の長州力らジャパン・プロレス勢大量離脱によって、全日本プロレスは存亡の危機に立たされた。もともと、全日本は日本人VS外国人という力道山時代からの伝統を守り、ジャイアント馬場の人脈でアメリカの超大物選手が集結するというのが売りだっ...
記事全文を読む→ジャパン・プロレスは1985年11月1日から7日の日程で3回目の自主シリーズ「ニューウェーブ・イン・ジャパン」を開催した。当初、全日本とジャパンには「ジャパンは1年間に1週間の自主興行を3回以上に分けて企画し、主催することができる」という取...
記事全文を読む→1983年8月、新日本プロレスでクーデター騒動が勃発。同月29日にはアントニオ猪木が代表取締役社長を、坂口征二が副社長を退陣させられ、新間寿取締役営業本部長が3カ月の謹慎となり、取締役審判部長だった山本小鉄、テレビ朝日から出向していた大塚博...
記事全文を読む→プロレスラーに酒豪は多いが、日本人で「最強」といわれるのは、やはり天龍源一郎だろう。「とにかく酒に強く、飲み比べをした藤原喜明もギブアップしたほど。また、全日本プロレス時代、試合のあとは記者たちを引き連れて夜の街に繰り出しての大宴会というの...
記事全文を読む→── 82年1月からは全日本に移籍して、今度はジャイアント馬場と闘うようになりました。ハンセン当時の私は手探りで自分を確立しようとしていた段階だったから、何も考えないで手加減もせずに馬場の巨体に思い切りぶつかっていただけだよ。それによって次...
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