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記事全文を読む→早世のマドンナたち② 可愛かずみ(1)
今よりも「脱ぐ」ことにすさまじい偏見があった時代─そんな82年に、可愛かずみは彗星のごとくポルノ界に現れた。やがて彼女はタレントとしても大きな飛躍を遂げるが、15年後にみずから命を絶ってしまう。あの慟哭から再びの15年後、不可解な死の謎を改めてひもピンク界の“常識”を覆した!といてみたい‥‥。
ピンク界の“常識”を覆した!
「静岡は三保の松原に近い生まれだったから美保純。お前は、とにかく可愛いんだから『可愛かずみ』だ」
映画監督の渡辺護は、デビュー作を撮った縁で2人の名づけ親となった。結果的に美保純も可愛かずみも、その「命名」以外には考えられない輝きを放った。まだ高校を卒業して間もない可憐な少女だった可愛かずみ。やがて、32歳の若さで「マンションから飛び降り自殺」を図るとは、想像もできなかった‥‥。
渡辺護は、出会った日の衝撃を鮮明に思い返す。それは「セーラー服色情飼育」(フィルムワーカーズ)という映画の主役オーディションだった。
「最初、主役に決まっていた女の子がドタキャンしたんだ。それで、映画のテーマはロリータ物で決まっていたから、それに見合う子を探さなきゃいけない。何人かに会って、かずみを見た時に『決まり!』と思ったね」
ただし、可愛自身はポルノの出演を了承したわけではなかった。80年代までは多かったことだが「どんな映画かも知らず‥‥」の面接だった。
固辞する可愛と、スターを育てたい事務所マネジャーや渡辺監督との話し合いが続く。
「彼女はヌードにはなってもいいが、カラミはイヤだと言ったんだ。その要望を尊重するようにして、どうにかOKを取りつけた」
渡辺は75年に東てる美の「禁断・性愛の詩」で、81年に美保純の「制服処女のいたみ」で、それぞれの初主演作を手がけた。ポルノ女優の歴史を変える3人目に可愛かずみをもくろんだのである。また「ヌードはいいが」と語った理由も、裸の姿を見た瞬間に理解できた。
「何だかんだ言って、胸に自信がある子は堂々と脱いでくれるよ。それは谷ナオミもそうだったし、逆に東てる美はシャワーシーンでも胸を隠しがち。かずみは細身なのに胸はすごく大きかったから、カラミがなくても、この体を見せるだけでも映画になるんじゃないかと思った」
極端に言えば、演技をつける必要もないと渡辺は思った。新宿の喫茶店で打ち合わせを終え、路上に出ると車に乗った若者たちが可愛をナンパしようと声をかける。よほど慣れているのだろう、可愛は笑顔を返しつつ、やんわり拒否する。その恥じらいの表情があれば、ことさら演技指導に走ることもない。
そして撮影が始まると、可愛はさほど緊張した様子も見せず、監督には休憩のたびに「なぞなぞゲーム」を仕掛けてきた。
やがて撮影もクライマックスに近づき、1度だけカラミのシーンを撮る必要があった。できるだけソフトに撮ることを条件に、渡辺は可愛を納得させた。
「それでも、いざカメラが回ると、彼女の僕を見る目が『イヤだ!』って訴えていたね。ずいぶん気を遣ったベッドシーンになったと思う」
映画の完成後、配給元の幹部は「主役のハダカが少ない映画は当たらない」とこき下ろした。わずか450万円の低予算で作った映画だったが、公開されると劇場に長蛇の列ができている。すべては「可愛かずみ」という新たな女神を見るためだった。
「450万円で作った映画が、ビデオも合わせたら億単位の売上げになった。バンバン脱がなくても、当たるものは当たるんだ」
1本きりに終わったが、渡辺は可愛と組んだことでそう確信した。
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