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記事全文を読む→早世のマドンナたち② 可愛かずみ(3)
「NG連発」で不安定な状態に
川上と可愛が隣り合わせた学芸大学のマンションには、可愛と同い年の戸川京子も住んでいた。川上もすぐに仲よくなり、戸川から紹介された尾崎豊とも遊び仲間となった。
気がつけば尾崎も可愛も、そして戸川も若くして世を去っている。いずれも、「不安定な精神状態」が非業の死への道筋となった。
さて川上は、そのマンションで6年ほどを過ごした。一度、可愛と「志村けんのだいじょうぶだぁ」で共演していた志村が犬を見せに来たことがあった。以来、川上も志村と親しくなり、バラエティ番組では名コンビとなる。可愛と3人でザコ寝をするほど“ファミリー”としての絆は強かった。
そんな日々ではあったが、可愛に異変が訪れる。91年に出演した、さるドラマがきっかけだったと川上は言う。
「その収録で何度もNGを出したことがトラウマになったんです。以来、ちょっと不安定な状態になったみたいです」
一説には、該当するドラマで共演したベテラン女優から罵倒されたことが、生来が生真面目な性格である可愛を追い込んだとも言われている。やがて可愛は、不安から逃れるように睡眠薬や精神安定剤に頼るようになった。
「かずみちゃんは私には隠していたけど、当時の芸能界は、強い安定剤が手に入るルートがあったんですよ。それを手放せなくなっていたんでしょうね」
それでも、95年にヤクルトの川崎憲次郎との交際が発覚し、平静を取り戻したかに見えた。ただし、川崎はケガの治療を理由に、翌年には可愛と破局。それがすべてではないが、仕事のストレスも重なり、可愛はさらに混迷を極めた。
川上も96年に中学の同級生と結婚(後に離婚)したこともあり、以前ほど目を配ることができなかった。やがて可愛は、96年12月、97年1月、亡くなった日である97年5月9日の午前中と、計3度の自殺未遂を図った。いずれも手首を切ってのことである。
川上は、未遂の知らせを受けて病院へ向かった。
「長らく安定剤を飲んでいて、一時は止めていたけど、また強い薬を飲むようになってから記憶が飛んでいた。薬が切れて正気に戻ると、飲んでいた時の行動を思い出せないんです」
3度目の未遂の後、午後6時半に可愛は病院を抜け出し、川崎が住んでいた目黒区のマンションに向かう。そして7階から飛び降り、即死に近い形で32歳の生涯を終える。
川上は舞台の稽古中に訃報を知り、涙をこらえて徹夜の稽古に臨んだ。死亡場所が元恋人のマンションだったことで憶測が流れたが、川上は別の意見だ。
「彼女の死の直前の状態を見ていると、同じように記憶がもうろうとしたまま、無意識に向かったんだと思う。決して『当てつけ』ではなかったはずです」
生きていれば今年は、デビュー30周年のはずだった─。
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