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出世作となった「昭和残侠伝」は、実は思いがけぬ内紛も勃発させた。高倉主演のシリーズ作としては、その前年に東映京都が製作した「日本侠客伝」(64年)がある。東映京都のメイン脚本家・笠原和夫は、自分が書いたものの盗作ではないかと東京撮影所の吉田達に怒りをぶつけたのだ。
確かに、高倉とともに敵陣へ斬り込んでゆく「侠客伝」の中村錦之助が、傘を持った「残侠伝」の池部良に変わっただけという見方もされたが──、
「もともと『日本侠客伝』だって、京都撮影所長に戻った岡田茂さんが『忠臣蔵』を下敷きにして作ろうと言い出したもの。どっちにしたって俺のアイデアや、と一蹴したんです」
笠原の後の代表作ではないが、東西の撮影所で“仁義なき戦い”が繰り広げられていたと吉田は言う。
こうした喧噪をよそに、高倉には「網走番外地」(65年)のシリーズも加わった。いよいよ映画界を代表するドル箱スターへと成長していったのだ。
ただし、吉田は慎重さを崩さない。京都製作が「侠客伝」で、東京製作が「残侠伝」と「網走番外地」の2本になるが、足の引っ張り合いは危険だ。
「どのシリーズも年に2本も3本も作っていたら飽きられてしまう。せめて『残侠伝』だけでも、なるべく年に1本にしようとペースを減らしていきました」
60年代の終わりから70年代の初めにかけて、高倉の主演作は軒並みヒットし、年間興行成績ベストテンの半数近くを1人で占めた。
そんな高倉に対して、常に厳しく接してきたのが俊藤である。絶頂期の東映の新年会ともなれば、会場に人が入りきらないため、2日に分けて開催されたほど。ここで俊藤の怒声が響く。
「だからお前は『一流の下』なんだ!」
あろうことか高倉は、セーターに下駄ばきのスタイルで壇上に立っている。金看板たる者の姿ではないという“指導”だった。
やがて高倉は東映からも俊藤からも距離を置いたが、俊藤にはもう1度だけ「帰って来た唐獅子牡丹(昭和残侠伝)」を撮りたいという夢があった。高倉も思いはわかっていながら、もはや、80年代以降の方向性が「任侠映画への回帰」ではなく、俊藤に断りを入れて、新たなプロデューサーと新機軸に取り組む。
昭和最後の年に公開された「海へ ~See you~」(88年、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)は、長らく日活の撮影所にいた岡田裕に依頼がかかった。
「健さんのほうからパリ─ダカール・ラリーを題材にした映画を作りたいとの話で、配給の東宝を経由して、私に指名がかかったんです。石原裕次郎さんがサファリラリーをテーマにした『栄光への5000キロ』(69年)を作った時、私がチーフ助監督だった経験を買われてのことです」
87年5月、東宝・松岡功社長や脚本の倉本聰も同席する異例の規模で製作発表が行われた。そして高倉は、異様な緊迫感を身にまとっていた──。
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