紳助親分の引退から2カ月が経過した。現在も「逃亡」を続ける親分の行方は依然としてつかめない。しかし、その逃避行には、常に付き従う女の姿があった。それが、親分の「本物の姐さん」、つまり本命の愛人ではないかというのだ。いったい、その女性の正体と...
記事全文を読む→事件
一方、2人の関係が危うくなった原点はさらにさかのぼると指摘する声も出ている。「松本が一時期、お笑い界の大御所・ビートたけし(64)と、周囲や双方の誤解からメディアを通じて牽制し合っていたと言われる90年代の話です。当時、紳助が『俺はたけしさ...
記事全文を読む→紳助親分が大豪邸を渡り歩くことができるのも不動産事業で成功したからであろう。紳助の番組関係者が「不動産王」前夜について明かす。「何でも、不動産に興味を持ったのは、師匠の島田洋之助の家に出入りしていた俳優の白木みのるさん(77)の影響があった...
記事全文を読む→紳助と夫人が出会ったのは35年前、紳助が20歳の時だったという。「みずからが出演する京都花月の切符を道行く人に売っていた際、1歳年下の彼女と出会ったそうです。京都出身の彼女は実家が喫茶店をしていて、その手伝いをしていたとか。4年間の交際を経...
記事全文を読む→紳助と松本は00年10月から06年3月まで、深夜番組「松本紳助」(日本テレビ系)で共演した。そして、それも2人を疎遠にする契機となったようだ。日テレ関係者が語る。「当初は、紳助さんと松本さんのアドリブや、スタッフや視聴者から出されたお題、悩...
記事全文を読む→誰もがひれ伏す「紳助親分」だった。だからこそ多くの「舎弟」や「愛人」を従えることができ、わが世の春を謳歌してきたはずだ。ところが、親分の名前を冠する「紳助一家」の頂点にはなんと、真の「元締め」がいたのである。紳助親分こと島田紳助(55)は「...
記事全文を読む→例えば「番組出演」をちらつかせ、多くの愛人を囲い込んできた。たとえ動機が不純でも、そこには「使用者責任」が存在したはずだ。とはいえ、人を利用することばかりに熱心だった紳助親分。最後はみずから起こした不祥事で、当の本人が責任を取らされようとは...
記事全文を読む→「この程度でもアウトなんです!」──紳助親分が引退会見で発したこの名言が、芸能界の「暴力団排除」を加速させた。年末の「紅白歌合戦」が〝マル暴芸能人〟排除に動き出した。その間隙を縫うかのように、K‐POP勢が出場を狙うが、彼らのバックにも韓国...
記事全文を読む→そんな時、本誌記者のもとに有力な情報が入った。「紳助は大阪にいる」というのだ。確かに、人口密集地の都市部のほうが姿をくらますには最適だ。しかも紳助のホームタウン。さっそく、大阪へと向かった。目的地は大阪市北区の某所だ。そこにそびえ立つタワー...
記事全文を読む→潜伏先の沖縄マンションから姿を消して、まもなく1カ月が経過しようとしている。紳助親分はいったいどこへ?本誌は慕い続ける「子分」のごとく、親分の「足跡」を追い続けた!すると、なぜかスポーツ界と縁のある人物の名前が浮上する。はたして、紳助との関...
記事全文を読む→ところで、紳助親分はなんと、麻耶のTBS退社にまで影響力を行使しようとしていた形跡がある。別のTBS関係者が話す。「紳助は局アナ時代の麻耶に『俺が面倒見たら年収は今の10倍や』と折に触れて聞かせていたといいます。つまり、TBSを辞める際には...
記事全文を読む→今から6年前、「週刊ポスト」05年11 月4日号に、麻耶が早朝、自宅近くの路上で泣きながら携帯電話を耳に押し当てている姿が掲載された。当時の状況を知るTBS関係者が明かす。「記事には書かれませんでしたが、彼女が電話で話していた相手こそ、紳助...
記事全文を読む→島田紳助の姿は今、世間の目にどう映っているのだろうか。現在の風貌をテレビで見る機会はなくなったが、もはや、軽妙なバラエティ番組の司会者という顔は思い浮かばないはずだ。脳裏をかすめる肖像は「紳助親分」、そう、ヤクザな絵姿ではなかろうか。息のか...
記事全文を読む→「吉本の社員ですら『おかしい』と首をかしげる事態で、この一件は他の番組関係者たちにも知れ渡りました。結果、吉本の大崎社長の耳にも入ったようです。すると社長が問題視して、紳助さんを呼んで聞き取りをしたといいます」(元吉本興業関係者)本誌が接触...
記事全文を読む→