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記事全文を読む→百恵と淳子、トリオが考えた「脱出計画」
同じ時期に男性アイドルは「新御三家」(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)が絶頂期にあった。歌番組では「中3トリオ」とともに、華やかさを競い合った。
「私たちも『スタ誕』だけでなく、いろんな番組で“パック”のようになっていましたが、忘れられないのが『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)でした。3対3がデュエット共演になって、私は五郎さん、モモさんと秀樹さん、そしてジュンペイがひろみさんと組んで歌いました」
こうした場面は筆者も何度か目にしたが、まだ「コラボ」という言葉も風潮もない時代、通常の週とは違う“大一番”に思えた。
同様に「スタ誕」が後楽園ホールを飛び出し、ハワイで収録した豪華さも印象深い。75年5月のオンエアで、当時は「高2トリオ」に“進級”していた3人も、そろって参加する。
「仕事で行くというより、3人とも修学旅行みたいな感じでしたね。飛行機に乗った瞬間からワーワーキャーキャー騒いでいました」
それは出演者だけでなく、同行した芸能マスコミも同じだった。3人が動けば大量のフラッシュがたかれ、ハワイのビーチも監視されるようにカメラがついて回る。
解放されるのは3人が同じ部屋に戻った時だけ。昌子は、その瞬間に淳子がベッドでポンポンと跳ねているのを見た。あんなにはしゃいだ姿は珍しかった。
そして少女たちは翌朝、ある作戦を決行する。
「どうしても3人だけで、カメラにも気づかれないよう朝ごはんを食べたいって思ったんです。帽子を目深にかぶり、非常口から出てレストランに入る。みごとに成功しましたね」
同じ年、3人は唯一の映画共演を果たす。8月2日に公開された「花の高2トリオ 初恋時代」(東宝)である。筆者も熊本の劇場で数カ月遅れて観たが、3人が出会い、それぞれに恋をし、友情を深めていく王道のロマンスだった。
それぞれに歌手として多忙を極めており、3人がそろって撮影するのは、わずかに3日だけだったという。
「そのうち、千葉に1泊2日のロケに行きました。もう24時間が完全に身動き取れない感じでしたけど、やっぱり私たちは抜け出したくなるんです。お弁当休憩のとき、モモさんが『ああやって、ここに行って』と考えてくれて、短い時間ですけどスタッフにバレないように脱出しました」
3人がそろって「平凡」や「明星」の表紙撮影をするのは、テレビの仕事が終わった真夜中である。クタクタの3人は相談し、カメラマンに向かって言い放つ。
「5回だけ一緒に笑いますから、その5回で終わらせてくださ~い」
そんな屈託のない日々にも、別れはやってくる。77年3月27日、3人が高校を卒業することから「高3トリオ」も解散することになった。
その舞台となった日本武道館で、これもトリオにとって唯一の合同コンサートが開かれた。超満員の観客の熱気が伝わってくる控え室で、3人だけの“儀式”を迎えていた。
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