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記事全文を読む→ザ・ドリフターズ 仲本工事が明かす「全員集合」裏話(5)「55号」に対抗した「全員集合」
クレージーキャッツを追いかけながらビートルズと同じステージに立ち、コント55号への「刺客」に選ばれたドリフ。「全員集合」放送開始から50年の今、大ブレイクのきっかけ、メンバー交代の真相から「ドリフ後」までを、仲本工事が語り尽くした。
大先輩のバンド、ハナ肇とクレージーキャッツは正統派のジャズバンド、ドリフターズの音楽はロックやウエスタンです。クレージーと比べて、ボクらがやっていたのは庶民的な音楽でした。大学4年でドリフに入ってから「8時だョ!全員集合」がスタートする69年までの5年近くは、自分たちで楽器を運んで夜行列車で移動して、地方公演に出かけていました。「目指せ! クレージー!」という意気込みでやっていたけど、到底、追いつかないという感じでしたね。
今から思えばすごいのは、ドリフが66年に来日したビートルズの前座で歌ったこと。3日間の公演のうち、ボクらのステージは日本テレビ系列で放送された日です。62年から始まった「ホイホイ・ミュージック・スクール」(日本テレビ系)というオーディションの番組に出ていたのがよかったのかな。いわゆる素人のど自慢番組で、参加するのは3組。ちょっとしたコントもやって、加藤が「加トちゃん、ペッ!」のギャグを始めたのはこの頃なんだよ。加藤はアイドルみたいに、人気になっていました。ビートルズの前座は「ホイホイ」の関係者が推薦してくれたんだと思う。
ビートルズの公演では彼らとは会っていません。もちろん部屋は別々だし、廊下には幕が張られていたからね。加藤はトイレでポール(・マッカートニー)と偶然、一緒になったみたいだけど。僕らのステージは登場から引っ込むまで1分半もなかった。ボーカルはボク、歌ったのはドリフのコントではいちばん短い「のっぽのサリー」。司会者はE・H・エリックさん。ボクらの正式名は「ザ・ドリフターズ」だから、エリックさんがまず「ザ」と言うわけ。その途端にギャーという歓声が武道館に響き渡った。「ザ・ビートルズ」かと勘違いしたファンが多かったわけよ。そのうち「あれ、違うんじゃない」という感じで、歓声が小さくなったけど。
当時は仕事の一環で歌ったくらいの感覚だったけど、折に触れて映像が流れる。やってよかったと思います。
63年には始まったばかりの「大正テレビ寄席」(テレビ朝日系)に、コメディーバンドのドリフがよく呼ばれて、評判になりました。TBS系では土曜昼に「ドリフターズドン!」という番組もやるようになって、徐々に人気が出るようになっていた。そんな中で68年に始まったのが「コント55号の世界は笑う」(フジテレビ系)です。「全員集合」はこの裏番組として、プロデューサーの居作昌果さんが企画したもの。ただ、ボクらは当時、渡辺プロの社員だから、新しい番組が始まるんだといった程度の感覚しかなかったけど。
最初は放送作家の先生が台本を書いて、ボクらはその通りにやっていました。でも、それじゃ面白くならないというので、いかりやさんがプロデューサーと話をして、自分たちで考えたコントをやるスタイルに変えていったんです。
峯田淳(コラムニスト)
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