30歳、40歳、50歳……年齢の節目とともに意識せざるを得ないのが“男性特有の悩み”。いつまでもオトコらしく自信を持ちたいと考える男性は敏感になって当たり前だが、ここで朗報が!「テストインクリース」という国内で初めて採用された成...
記事全文を読む→天才作曲家・筒美京平はなぜ、松田聖子に楽曲を書かなかったのか?
昭和を代表する作曲家・筒美京平さんが10月7日、誤嚥性肺炎により80歳で亡くなっていたことが報じられた。そのヒット曲の多さは天文学的と呼ぶしかなく、68年にいしだあゆみに提供した「ブルー・ライト・ヨコハマ」が自身初のミリオンセラーになると、79年にはジュディ・オングの「魅せられて」、80年には近藤真彦の「スニーカーぶる~す」でも100万枚を突破する。さらに歌謡界最大の栄誉だった日本レコード大賞は71年に尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、そして79年の「魅せられて」でも頂点に立つことになる。
膨大なヒット曲を数え上げればきりがなく、シングルの累計で7500万枚を超える作曲作品の売上げは、今後も二度と破られない不滅の記録だ。ただ、そんな巨人をもってしても一度も組むことがなかったトップ歌手が、今年デビュー40周年を迎えた松田聖子である。厳密に言えば山口百恵も中森明菜も「筒美京平作品」はないが、2人の音楽の方向性からいけば、さほど不思議ではない。ただ、洋楽をベースとしたポップスの作り手である筒美氏にとって、聖子との親和性は十分だっただけに、なぜ組まなかったのかと謎は残る。
その疑問に、聖子を執念でデビューにこぎつけさせ、当時の記録である「シングル24作連続オリコン1位」をもたらした若松宗雄ディレクター(当時)が意外な回答をした。
「デビュー曲は筒美さんを考えていたよ。ただ、同じCBS・ソニーの社内にあって、酒井政利さんと筒美さんの関係を考えたら、そこに入っていく感じではなかった」
酒井氏は昭和を代表する音楽プロデューサーであり、南沙織や郷ひろみなど筒美氏とのタッグは盤石。聖子デビューの前年には、くすぶっていたジュディ・オングに筒美氏の作曲による「魅せられて」で大ヒットを記録させている。筒美氏への作曲依頼がかなわないと感じた若松デイレクターは、新進の小田裕一郎を起用し、デビューからの三部作「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」と連続ヒットさせ、さらに作詞には松本隆を固定させた。その後も作曲陣には財津和夫、松任谷由実(呉田軽穂名義)、細野晴臣、尾崎亜美、佐野元春、大江千里と、歌謡界の大御所に頼ることなくシングル1位を重ねた。
その判断に何ら間違いはなく、また今となっては実現も不可能になった。それでも、デビュー時に可能性がゼロではなかっただけに、筒美氏の作品を歌う聖子を一度でいいから見たかったと思う歌謡ポップスファンは少なくないはずだ。
(石田伸也)
アサ芸チョイス
この春も、フレッシュな美女アナ1年生たちが各局に入社。振り返れば、のちにエースとして君臨したレジェンドたちにも若葉の頃はあった。しかし、彼女らは初々しさもそこそこに、スタートから段違いの未来を嘱望された「破格の新人」だった。かつて&ldqu...
記事全文を読む→プロ野球の世界では毎年のように「オフの戦力外通告」が大きなニュースになるが、まさかアナウンサーにまでその波が押し寄せるとは、当の本人も思わなかっただろう。日本ハムが今季、本拠地エスコンフィールドでのホーム戦ヒーローインタビューを、各局アナウ...
記事全文を読む→「『母に捧げるバラード』でやっと、どこの会場に行っても1000人ぐらいお客さんが集まる人気を獲得したんですよ。紅白歌合戦に出て、これで一説によれば、10年食えるって。それが翌年からローカル歩き出したら、みるみるお客さんが引いているの」これは...
記事全文を読む→

