「あれほどの男が恥を忍んで、私に頭を下げてきたんだからね。貸さないわけにはいかないじゃないの!」
以前、取材した浅草「ロック座」名誉会長・齋藤智恵子さんは、こういって微笑んだ。彼女が言う「あれほどの男」とは、俳優の若山富三郎を指す。齋藤さんは若山に5000万円、さらに弟・勝新太郎に20億円以上を用立てたものの、2人の死により、借金の大半をチャラにしたとして当時、メディアで話題になった女傑である。
映画「子連れ狼」の拝一刀をはじめ、「火の鳥」では猿田彦、また「ブラック・レイン」では極道のボスを演じるなど、重厚な演技で日本映画界にその名を刻んできた若山。
だが若い頃には、弟の勝が先に「座頭市」で映画デビューして人気を得たこともあり、勝に酷似していた若山は映画会社を転々とするなど、不遇の時代もあった。
そんな時、齋藤さんが某テレビ番組で「やり手女性実業家」として取り上げられ、それを見た若山から連絡が入る。その後、兄弟と家族同然の付き合いが始まったというのだ。
ところが90年1月16日、勝がハワイで薬物逮捕されるという事件が起きる。
1月19日、報道陣に囲まれた若山は、強い口調で吐き捨てた。
「惨めなヤツだ。犯人が実地検証に連れて行かれるみたいに、顔を隠したりして。もう、私が何やかや言う年ではない。60も間もないっていうのに、そんなバカバカしい話ってあるかい!」
それは、あくまでもマスコミに向けたコメントだったと齋藤さんは述懐し、こう語った。
「2人の間には、他人が入り込めない深い絆があった。でも、さすがに擁護するわけにはいかない。でも若山さん、勝さんの帰国が知りたくて、一日中テレビから離れなかったそうですよ」
そんな若山が京都市内の自宅で心臓発作を起こし、92年4月2日に帰らぬ人となった。それは、勝が事件の判決を若山に伝えるため、京都入りしてすぐのことだった。
4月7日正午、東京・大田区にある池上本願寺で執り行われた葬儀には約500人が弔問に訪れ、その中には、萬屋錦之助や松方弘樹、三船敏郎らの顔もあった。
焼香に先立ち、喪主を務めた勝は、
「あんまりいい顔なんで、これが灰になっちゃうのは残念だと思うんですけども。今は泣けてますけど、本当は『よっ、トトトン、トンと』手を打っていただいて。人生が演劇であるなら、お兄ちゃんにとって素晴らしい千秋楽を迎えたなと」
そう言って、早すぎる最愛の兄の死を悼んだ。
享年62。その豪快な役者人生は散り方もまた、豪快な役者にふさわしいものだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。