11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→家康激怒!二日酔いで戦に敗北し「酒封じの神」となった戦国武将
戦国武将・本多忠朝は、徳川四天王として名高い本多忠勝の次男で、上総大多喜藩5万石の第2代藩主だ。
忠朝は父の名前に恥じない勇将で、初陣となった慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、刀が曲がって鞘に収まらなくなるほど、暴れ回ったという。
人格者でもあり、慶長14年(1609年)、ドン・ロドリゴ率いるスペインの戦艦「サン・フランシスコ号」が航海中に難破した際、乗務員317人を手厚く保護したという記録が残っている。また、領地の新田開発を奨励するなど、名君の誉れも高かった。
ただ、忠朝には無類の酒好きという欠点があり、それが元で、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣では、深酒のせいで二日酔いだったため、敵の猛攻の前に敗走。徳川家康からきつく叱られたという。酒好きが災いして、やらかしてしまったわけだ。
現代でもそうだが、酒を飲んでの失敗は言い訳にならない。忠朝は汚名をすすぐため、翌年の大阪夏の陣の際、天王寺・岡山の戦いで徳川方の先陣を買って出て、敵方・毛利勝永軍に正面から戦いを挑んだ。だが、敵軍から狙撃を受けて落馬。それでも戦い抜いたが、最終的に全身20カ所以上の傷を受けて戦死したと伝わっている。
死に際に忠朝は「憎むべきは酒なり。今後、わが墓に詣でるものは、必ず酒嫌いとなるべし」と遺言したと伝わっている。
そのため、忠朝は「酒封じの神」として祀られるようになった。墓所は大阪市天王寺区の「一心寺」にあるが、禁酒を誓う人が墓所にシャモジを奉納しているという。
天王寺・岡山の戦いで生き残った部下たちには、家康から感状(賞状のようなもの)が与えられたという。
家康はその死を悼み、忠朝の遺児・政勝は大和郡山藩15万石の藩主となった。忠朝の名誉は十分に回復されている。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

