もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→KONISHIKI電撃離婚で言葉を濁した「具体的な理由」/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
当時、人気モデルとして活躍していたSさんと、92年2月に新高輪プリンスホテルで結婚披露宴を開いた、元大関KONISHIKI。
披露宴には、各界から1600人が出席。その費用は6000万円とも言われ、当日もテレビ中継される一大イベントだった。
KONISHIKIは97年11月場所を最後に現役を引退し、年寄・佐ノ山を襲名した。だが、翌98年には協会に廃業届を提出して、タレントに転身。結婚後も2人のアツアツぶりは周囲の誰もが認めるところで、出版した著書「はだかの王様」(読売新聞社)でも、Sさんの優しさを「どんなに温かいハートの持ち主かよくわかる」と記述するなど、様々な場面で彼女に対するKONISHIKIの愛情の深さを感じたのである。
ところが、結婚から8年10カ月後の01年12月──。2人の電撃離婚が写真誌によってスクープされると、12月18日にKONISHIKIがハワイ・ホノルルのホテルで離婚報告会見を行った。
黒いTシャツにショートパンツ、「力」というロゴが入ったキャップに黒縁眼鏡で現れたKONISHIKIは開口一番、
「僕とSのことで、だいぶ日本が騒いでいるみたいで、本当に申し訳ない」
神妙な面持ちで一礼すると、
「一緒にいる間に食い違いがあって、2年ぐらい前から別居していたの。話し合って、お互いのためにはこれがいちばんいい方法じゃないかって話をね。『笑いながら離婚したいね』とお互いに話をしました」
不仲が原因ではないことを強調したのである。だが、具体的な離婚理由については、
「それはプライベートなことだから」と言葉を濁し、まさに夫婦のことは夫婦にしかわからないから、というトーンで会見は終了した。
とはいえ、元大関で人気タレントの電撃離婚だ。当然、このニュースは日本でもリアルタイムで報じられ、しかも、具体的な離婚原因が本人の口から語られなかったことで、様々な憶測が飛び交うことになる。
KONISHIKIが所属していた高砂部屋の関係者を取材すると、
「テレビを見て知ったけど、あんなに仲のいい夫婦が別れるなんて、ほんと信じられない。サリー(KONISHIKI)はね、よく、妻からもらった一番のプレゼントは『愛情だよ』なんて公言するくらい、Sさんにベタ惚れだったし。Sさんも健康管理のほか、何から何まで完璧な奥さんだった。2人だけで話し合って結論を出したんだろうけど、本当にお似合いのカップルだったから、残念でなりませんね」
そんなに仲睦まじい夫婦が、なぜ破局に至ったのだろうか。一部ではKONISHIKIと義兄の確執も伝えられたが、結局、その後も真相が本人の口から語られることはなかった。
結婚式から9年後の正月は、ハワイでひとり迎えたというKONISHIKI。その心に去来したものとは…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→

