社会

大河ドラマを100倍楽しむ「ここがヘンだよ、徳川家康」〈織田・今川「人質生活」の実態〉

 徳川家康が天下人となった「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」などは、誰もが知る有名すぎるエピソードだが、その幼少期から青年期に至る家康の人生については意外に知られていない。

 歴史家の河合敦氏に家康の青年期について解説いただいた。

「家康は東を今川義元、西を織田信秀(信長の父)に挟まれた三河国(現在の愛知県中央部・岡崎市)に生まれました。通説では、6歳の時に父の松平広忠から、人質として今川氏の駿府(現在の静岡市)に送られる途中、味方の裏切りで織田方の尾張に送られ、その約2年後に、今川氏の捕虜となっていた織田信広(信長の異母兄)との人質交換で、今川家の駿府に戻り、19歳になるまでずっと今川義元の人質としての生活だったといいます」

 一般に、【1】今川での人質時代は過酷な状況だったと言われているが、実際にはそれほどひどい状況ではなかったようだ。

「今川氏は国衆と呼ばれた大名から人質を取った場合には、本拠地の駿府ではない場所に置くのが普通でしたが、家康の場合には駿府に置かれて、14歳で元服し、その2年後には今川義元の姪とされる築山殿と結婚、18歳の時には嫡男の信康が生まれています」(河合氏)

「江戸はスゴイ」などの著書がある「お江戸ル」堀口茉純さんも、

「今川義元は、当時“海道一の弓取り”の異名を取るくらい東海地方一の戦国大名で、戦場には嗜みとして化粧にお歯黒で出て行くようなジェントルマン。なんだかんだ家康のことを可愛がっていたようです。今川義元の『元』の字をもらって、元服時には松平(次郎三郎)元信、その後、築山殿と結婚して松平(蔵人佐)元康と改名していることからも、それがうかがえます」

 人質生活は、その後、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長にまさかの敗北を喫して討ち死にしたことで、今川の配下から解放され独立することを決意、【2】義元の「元」の字を外して、元康から「家康」と改名している。

 戦国時代に詳しいタレントの桐畑トール氏は、それを裏切りではないかと主張する。

「今川義元が死んだと聞いたとたんにあっさりと世話になった今川を裏切って岡崎に行ったように見えます。駿府には正室の築山殿や息子の信康も人質にとられたまんまの状態ですから、妻子を捨てる覚悟で、その変わり身の素早さは、ヘンというかスゴイ」

 一方、河合氏は別の見立てをする。

「桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にした時に家康は今川方として尾張の大高城にいましたが、義元の死を当初疑って、『三河物語』などには、『義元殿が討ち死にしたことはまだ確かではない、確たる知らせが入るまではここを動かない』と言ったとも言われています。

 またその逆に、岡崎城に行ったのは、今川義元の息子の氏真の命令だったという説もあり、この段階では、今川から離れるかどうか、まさに『どうする家康』といった状況で、義元の死で織田方につく武将も少なくなかった中、家康はとりあえず今川方のスタンスを取っていました。しかし、翌1561(永禄4)年になると、今川の拠点の城(牛久保城)を攻め、今川氏真と敵対するようになったのです」

「家康」への改名の裏には、悩める小国の主の姿が垣間見えるのだ。

 家康に改名してからわずか2カ月後に勃発したのが「三河国一向一揆」。後に三方ヶ原の戦い、本能寺の変に先立つ「家康3大危機」のひとつに数えられる大事件である。一向宗の門徒たちによる一揆に徳川家臣団の多くが味方して家康に叛旗を翻し、三河は大混乱に陥る。家康はなんとか一向勢力と和睦して三河を治め、かつての今川氏の領国に進出して東海一の大名となっていく。堀口さんは、その頃の出世への意欲が改名にも表れていると指摘する。

「三河の統一を成し遂げたあと、家康は松平から『徳川』に姓を変えます。とはいえ、【3】松平家が新田源氏の流れ、つまり源氏の由緒ある家系だということを言うための捏造です(笑)。家康という名前は、松平清康というお祖父さんの『康』の字をもらっていますが、『家』は、平安時代末期に活躍した八幡太郎義家という源氏のスーパースターの名前からもってきて箔をつけるために作った名前で、源氏の正統な後継者だと見られたいという気持ちが表れています。松平家の先祖は、一説には乞食坊主だったとか、かなり怪しい素性だとも言われていますから、こうした改姓で箔をつけるというのは、戦国時代にはよくあることでもありました。家康は源頼朝を崇拝していましたので、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』を愛読していたというシーンが、昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の最終回冒頭に出てきましたね」

 経歴詐称も結果オーライということか。

堀口茉純(ほりぐち・ますみ)明治大学卒業。TOKYO MX「ぐるり東京江戸散歩」等に出演中。著書「江戸はスゴイ 世界が驚く!最先端都市の歴史・文化・風俗」(PHP文庫)他多数。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊に「徳川家康と9つの危機」(PHP新書)。

桐畑トール(きりはた・とーる)72年滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演。「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。

カテゴリー: 社会   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    ゲームのアイテムが現実になった!? 疲労と戦うガチなビジネスマンの救世主「バイオエリクサーV3」とは?

    Sponsored

    「働き方改革」という言葉もだいぶ浸透してきた昨今だが、人手不足は一向に解消されないのが現状だ。若手をはじめ現役世代のビジネスパーソンの疲労は溜まる一方。事実、「日本の疲労状況」に関する全国10万人規模の調査では、2017年に37.4%だった…

    カテゴリー: 特集|タグ: , , , |

    藤井聡太の年間獲得賞金「1憶8000万円」は安すぎる?チェス世界チャンピオンと比べると…

    日本将棋連盟が2月5日、2023年の年間獲得賞金・対局料上位10棋士を発表。藤井聡太八冠が1億8634万円を獲得し、2年連続で1位となった。2位は渡辺明九段の4562万円、3位は永瀬拓矢九段の3509万円だった。史上最年少で前人未到の八大タ…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , |

    因縁の「王将戦」でひふみんと羽生善治の仇を取った藤井聡太の清々しい偉業

    藤井聡太八冠が東京都立川市で行われた「第73期ALSOK杯王将戦七番勝負」第4局を制し、4連勝で王将戦3連覇を果たした。これで藤井王将はプロ棋士になってから出場したタイトル戦の無敗神話を更新。大山康晴十五世名人が1963年から1966年に残…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , , , |

注目キーワード

人気記事

1
「致死量」井上清華アナの猛烈労働を止めない「局次長」西山喜久恵に怒りの声
2
完熟フレッシュ・池田レイラが日大芸術学部を1年で退学したのは…
3
またまたファンが「引き渡し拒否」大谷翔平の日本人最多本塁打「記念球」の取り扱い方法
4
京都「会館」飲食店でついに値上げが始まったのは「他県から来る日本人のせい」
5
巨人の捕手「大城卓三と小林誠司」どっちが「偏ったリード」か…大久保博元が断言