誰にでも人生の黄昏時が巡ってくる。その時に、問われるのが「美学」に違いない。そこには百人百様の生き様がかいま見えてくる。各界有名人たちのそれぞれの「引き際」のありように迫った。
「8勝はできても、優勝はできない」――名文句を残して現役を引退した曙。「日本人以上に日本人らしい」と言われた初の外国人横綱は満身創痍だったが、最後まで気丈だった。
「現役時代の後半、両膝をケガして満身創痍でした。しかし、ケガをしているのは俺だけじゃないでしょ。ほとんどの力士がケガをかばってやっている。結局、続けられるかどうかは本人の気持ちしだい。モチベーションが全てなんですね」
都内の自宅で会った曙は流暢な日本語でそう語りだした。
「花の六三組」と言われ、同期入門した力士に貴乃花、若乃花、魁皇、和歌乃山、力櫻(プロレスラー・力皇猛)ら錚々たる顔ぶれがそろっている。
貴乃花とは曙貴時代を築き、名勝負を繰り広げた。対戦成績も21勝21敗。しかし、先に横綱に上り詰めたのは曙だった。
「気づいたら、横綱だった。若貴兄弟には絶対、負けたくない。そんな気持ちから、がむしゃらに稽古したんです」
サラブレッドの貴乃花に対するライバル意識は凄まじいばかりだ。その気持ちがあったからこそ、「ハワイの黒船」小錦ですらつかみ取ることができなかった栄冠を、入門からわずか5年で手にしたのである。
しかし、我が世の春が長く続くわけではない。力士人生のドラマに光と影があるなら、影の部分も長く続いた。
当時、世間は「若貴ブーム」に沸いた。テレビのスポーツ番組は曙に「若貴ブーム」に対するヒール役としてのレッテルを貼った。
「横綱になったら、10回は優勝したい。それは力士としての目標でした。ところが、優勝9回を数えてから3年半も優勝から遠ざかっていました。9回目の優勝を飾ったあとに結婚したのですが、子供を抱いて賜杯を抱きたいというのが夢だったので、優勝できなかった時代はつらかった。しかも、当時、世間ではアゲマン、サゲマンという言葉がはやっていたので、女房との絡みでいろいろ噂されることが腹立たしかった」
相撲界は貴乃花全盛時代を迎えていただけに、結果を出せない不本意な土俵に我慢ならなかったに違いない。しかし、それでも黙々と土俵に上がり続け、決して、ケガのせいにしなかった。
「プロですからね。思ったような相撲が取れないとストレスがたまる。昨日までできたことが今日はできない。それがいちばん悔しかった。若かった頃は自分が頭の中で描いたとおりの相撲が取れたのに、それができないんですからね」
相撲の稽古は3年先の稽古をしろと言われる。しかし、崩れるのは簡単で、1日休むと5日分崩れると言われる。
曙は稽古を怠らなかった。それが実ったのが、10回目の優勝を飾った00年7月の名古屋場所だ。これまでのウップンを晴らすかのような13連勝で、3年ぶりの天皇杯を手にした。
まさに執念で名実ともに名横綱の仲間入りを果たしたのだ。
そして、同年の九州場所でも14勝で11回目の優勝。
その年、曙は常に優勝争いを繰り広げ、全盛時代が戻ったかに見えた。
だが、年が明けて01 年春場所に突然の引退に踏み切るのだ。
「もう優勝争いはできない‥‥そう思った時に引退を決めました」
矢尽き、刀が折れての引退劇に好角家は涙した。まさしく、日本人以上に日本人らしい外国人横綱の引退劇だった。
-
-
人気記事
- 1
- 「京都崩壊」の信じがたい現実…外国人観光客専用都市に激変した「不気味な風景」
- 2
- 商品価値が落ちたヤクルト・村上宗隆「メジャー計画変更」で大谷翔平と同じ道を
- 3
- 【米ゴルフツアー】コリン・モリカワが生放送で松山英樹に「放送禁止用語」/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
- 4
- フジテレビ・山本賢太アナが行方不明に!? 「代役」登場と「謎のテロップ」
- 5
- 土壌ラドン濃度・衛星観測・上空発光…火山噴火と大地震「前兆キャッチ」の新技術がスゴイ!
- 6
- 山尾志桜里の「公認取り消し」騒動を起こした玉木雄一郎は「榛葉幹事長人気に焦った」って!?
- 7
- 「絶対にやめろ」に大反発!トルシエ元日本代表監督が初めて明かした日本サッカー協会とのバトル
- 8
- 西武ベルーナドーム「ひんやりミスト導入」でも「巨大スチームサウナになる」過酷環境の悲鳴
- 9
- 岡田彰布が怒りのブチまけ!阪神・佐藤輝明「まさかの怠慢単打」でサヨナラ負けに「論外やろ。見てみいよ」
- 10
- 白川のぞみ「ドMに目覚めて初めて首を絞められました」/旬のグラドル直撃インタビュー
-
急上昇!話題の記事(アサジョ)
-
働く男のトレンド情報(アサ芸Biz)
-
-
最新号 / アサヒ芸能関連リンク
-
-
厳選!おもしろネタ(アサジョ)
-
最新記事
-
アーカイブ
-
美食と酒の悦楽探究(食楽web)