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記事全文を読む→新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「キッド&スミスも!! 外国人にも引き抜きの魔手」
1984年9月から11月にかけて、新日本プロレスは存亡の危機に立たされた。
新日本プロレス興行(10月9日にジャパン・プロレスに社名変更。以下、ジャパン)に対し「事前の了解なしに全日本プロレスと業務提携したのは契約違反である」として、8月24日に契約解除を通告したが「それならば、今後は業務提携している全日本を盛り上げるために選手を引き抜く」と宣戦布告される事態に。
実際に長州力率いる維新軍団以下13人の選手を引き抜かれてしまったのだ。
引き抜かれたのは日本人選手だけではなかった。11月16日に開幕する「第5回MSGシリーズ」の目玉チームだったダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスが全日本に電撃移籍したのである。
開幕3日前の13日17時35分、カナディアン・パシフィック航空401便でミスター・ヒト(安達勝治)とともに来日したキッドとスミスが全日本の米沢良蔵渉外部長の出迎えを受け、全日本が用意した車に乗り込んで消えたから大騒動になった。
翌14日、キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)でキッド&スミス、ヒトが記者会見。
「2人から全日本に行きたいという申し入れがあったので、自信を持って馬場さんに売り込んだ。新日本は、今までカルガリーで若手を育ててやったのに誠意がなさすぎる。俺は7人乗りのマイクロバスまで買い、運転手役もやった。それに対して新日本が何をしてくれたか? その気になればキッド&スミスだけでなく、カルガリーにいた新日本の連中は全部引き抜ける」と不満をぶちまけたヒト。
キッドとスミスは、本拠地のカナダ・カルガリーに侵攻してきたWWF(現WWE)と提携する新日本のリングには上がれないと主張。NWA第1副会長のジャイアント馬場をボスとする、全日本行きをヒトに依頼したと説明した。
こうした話は建前で、明らかに全日本の引き抜き行為。会見直前の午後2時57分、新日本の坂口征二副社長がキッド&スミスの契約書を持ってキャピトル東急ホテルに駆けつけ、馬場と坂口の話し合いは1時間16分も続いた。
「明らかに二重契約。キッド、スミス、全日本に対して法的手続きを取ると伝えた。あとは弁護士に任せる」と坂口は苦々しい表情でホテルをあとに。
一方の馬場は「この問題はアメリカのレスリング・ウォーが原因。新日本とWWFが提携を続けている限り、こういう問題は次々に起こる」と、あくまでも原因はアメリカのNWAとWWFの対立にあるとして引き抜きを否定した。
翌15日、京王プラザホテルの「第5回MSGシリーズ」前夜祭で、WWF総帥のビンス・マクマホン・ジュニアはキッドのWWFジュニア王座(2月にスミス、ザ・コブラとの王座決定戦で奪取)の剥奪を発表。
16日午後3時には、坂口の橋渡しによって今度は馬場とマクマホンの会談がキャピトル東急ホテルで実現したが、これはマクマホンが坂口の顔を立てただけで、実際には馬場にクレームをつけることもなく、表敬訪問に終わっている。
キッド&スミスは同日の後楽園ホールでの「全日本&ジャパン提携記念チャリティ興行」に出場してグレート小鹿&大熊元司の極道コンビに124秒で圧勝すると、馬場&天龍源一郎VSジャンボ鶴田&タイガーマスク(三沢光晴)に乱入してタイガーマスクと因縁を作り、22日開幕の「’84世界最強タッグ決定リーグ戦」に参加した。
タネを明かせばキッド&スミスはWWFに反発するどころか、同年8月から本拠地カルガリーとトロントのメープルリーフ・ガーデンにおけるWWFの興行を掛け持ちしていた。距離が離れているために競合することはなかったのだ。
つまり、この移籍劇にWWFはまったく関係なかった。安達が売り込んだのは事実だが、そこに関与しているのは、やはり新日本興行──ジャパンだ。
新日本からジャパンに移籍した永源遙とヒトは、72年1月に日本プロレスから一緒にカンザスに修行に出ている仲で、その関係から新日本に不満を持つヒトはジャパン、ひいては全日本に協力することを選択。
ヒトがジャパンの大塚直樹社長に「キッド&スミスに新日本に行くのと同じ飛行機のチケットをこっちで用意して、到着したら新日本ではなく全日本にスイッチ(移籍)しちゃうっていうのが面白いんじゃないか」と提案すると、それを伝え聞いた馬場は「それは胸のすく話だなあ!」と、すぐに乗ったという。
馬場が出した条件は契約金が1人につき2万ドルで、1週間のギャラは新日本より1000ドル多い週6200ドル。さらに参加したいシリーズを選べるというオプションを付けた。
キッド&スミスが85年から全日本とWWFで活躍することを考えると、馬場とマクマホンの会談は、実は2人のスケジュール調整だったのかもしれない。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
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