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記事全文を読む→伝統芸能「猿楽師」から老中に上り詰めた日本史上初の人物は「年収50億円」の超VIP
徳川6代将軍・家宣(挿絵)、7代将軍・家継に仕え、猿楽師から老中にまで大出世を遂げた人物がいる。相模・厚木藩主、上野・高崎藩主、越後・村上藩間部氏初代藩主の間部詮房である。猿楽とは室町時代に成立した伝統芸能だ。
寛文6年5月16日(1666年6月18日)に、甲府藩主・徳川綱重の家臣である西田清貞の子として生まれた。当初は猿楽師・喜多七太夫の弟子だったが、貞享元年(1684年)に徳川綱豊(6代将軍・家宣の初名)の小姓に抜擢され、出世街道がスタート。この時の給料は切米150俵10人扶持で、金額にすると70両だった。江戸中期の1両は現代の価値では約3万円から5万円程度で、年俸210万円から350万円程度だ。
真面目で信義に厚い人物だったため綱豊に重宝された。元禄12年(1699年)には甲府藩用人となって加増され、元禄16年(1703年)には1500俵をもらうまでになった。
宝永元年(1704年)、家宣が将軍家の世継ぎになるため江戸城の西丸入りすると幕臣に編入され、従五位下・越前守に叙任。翌年正月には西丸側衆として3000石を与えられた。
さらに宝永3年(1706年)正月には若年寄格となり、相模国内で1万石の大名に。1万石は現在の価値にして約10億円だが、その後、老中次席に昇格して宝永7年(1710年)には高崎5万石の領主にまでなった。単純計算で年収50億円の超VIPだが、日本史上、猿楽師が大名になった例は他にない。
家宣が将軍に就任してからは、学者・新井白石とともに「正徳の治」を断行したが、享保元年(1716年)に家継が幼少のまま病死し、徳川吉宗が8代将軍に就任すると失脚。高崎から遠方の越後国村上に転封された。
享保5年7月16日(1720年8月19日)、暑気あたりのため55歳で死去したが、その後も間部家は存続。越前・鯖江藩5万石で明治維新を迎えるも、間部家は華族令により、子爵を授けられている。間部詮房は江戸時代随一の、成り上がった人物といえるだろう。
(道嶋慶)
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