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記事全文を読む→加藤清正に「槍で虎退治」「巨大石運び」をパクられた戦国武将の悲劇
朝鮮出兵の際、槍で虎を退治したことで知られる加藤清正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、肥後熊本藩初代藩主だ。
清正は文禄元年(1592年)、キリシタン大名の小西行長とともに、朝鮮に上陸。この際、陣取った村に虎が出没して村人を襲い、田畑を荒らし回っているという話を聞いた。
勇猛果敢な清正は重臣・加藤典三右エ門とともに虎のいる場所に出向き、槍でこの虎を退治したという。
これは今も語られる有名なエピソードだが、実は槍で退治したのではなく、鉄砲を用いたというのが真相だったといわれている。この頃に朝鮮半島にはアムール虎やシベリア虎が生息しており、武将たちは競うように鉄砲を使って虎を退治し、秀吉に献上。清正もそのひとりだった。
ところが本当に槍で虎を退治した武士がいた。林直利という、黒田二十四騎のひとりである。永禄十二年(1569年)、軽井沢で生まれた直利は当初、武田氏の家臣だったが、紆余曲折の末に黒田官兵衛の小姓となった。 そして文禄・慶長の役では鉄砲大頭となり、文禄三年(1594年)2月に史上唯一となる、槍による虎狩りを行ったのである。
文禄の役が休戦となり、大半は帰国したが、一部の武将は朝鮮半島南岸で築かれた日本式の城、倭城「機張城」に残っていた。
その最中、直利は主君の黒田長政らとともに、虎退治のため山に入った。長政らは鉄砲で虎を仕留めて「機張城」に引き上げたが、直利は収穫がなかったため、ひとり山に残ったという。
そこに1頭の大虎が現れ、襲いかかってきた。直利は手にしていた槍を喉に突き刺したが、虎がもがいたために、穂先と柄が接した部分、塩首が曲がってしまった。直利は差していた刀を抜き、虎にトドメを刺したという。
引き上げてきた直利の槍を見た長政は、それに「虎衝(とらつき)」という名を与え、鞘が見事な大鳥毛だったため、黒田家の槍印にも採用した。「虎衝」の槍は長らく行方不明となっていたが、現在は福岡市の個人が所蔵している。
この虎退治のエピソードが江戸時代になり、なぜか「加藤清正の虎退治」という話にスリ替わり、世の中に広まった。
また、慶長十五年(1610年)に行われた名古屋城の石垣普請で直利は工事を担当し、最も大きな石を運んだが、これも清正のエピソードへとスリ替わった。その石は今も「清正石」と呼ばれている。
後世の人の「パクリの連続」に、直利はどんな思いでいるだろうか。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
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