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記事全文を読む→大瀬良大地は墓参を欠かさず…広島カープ投手陣の道標「忘れられない7月20日」が今年もやってくる
広島カープファンが今も忘れることができない「あの日」。「7月20日」が間もなく訪れる。毎シーズン、山口県周南市に静かに佇むお墓へのお参りを欠かさない大瀬良大地は、こう語る。
「今年は開幕前に息子も連れて行きましたが、やっぱりこの番号(14)を背負っている限り、特にこの日には心に期するものがあります」
1980年代後半に「炎のストッパー」として、カープファンだけではなく、全国の野球ファンの心に強烈な印象を残した津田恒美が、1993年7月20日に天国に旅立ってから、32年の歳月が流れる。今年は「33回忌」という節目のシーズンである。
1981年。津田は古葉野球でセ・リーグ常勝軍団だったカープから、ドラフト1位指名を受けて入団。自ら背負ってきた不撓の野球観によって、どこまでも直球勝負で打者に立ち向かっていく、強気の投球スタイルを貫いた。
大瀬良は語る。
「現役時代の彼の姿を見たことはないのですが、絶頂期だった阪神のバースから全てストレートで3球三振を奪う映像を見た時には、衝撃が走りました」
その頃のバースの言葉が残っている。
「ツダはクレイジー」
当時ともに戦った原辰徳、清原和博らに「現役時代でいちばん凄いと思った投手は誰ですか」と聞くと、今でも同じ答えが返ってくる。
「カープの津田です」
津田はマウンドから跳び跳ねるようにして投げ下ろす豪快な投球で、打者を圧倒した。ただ彼にも、この投球スタイルに至るまでには転換点があった。
南陽工高時代の恩師・坂本昌穂はこう語る。
「元来、優しく弱気な性格で、打者の内角も攻められないような投手でした。ところが3年生の時に本人がそのことを悟り、自分の気の弱さを隠さずに正面から認めるようになりました。そして自分でボールに『弱気は最大の敵』という文字を書き、以降、彼はずっとそのボールを持って試合に臨んでいました」
津田の没後、旧広島市民球場の一塁側ブルペンに、一枚のプレートが掲げられた。
〈直球勝負。津田恒美 笑顔と闘志を忘れないために〉
いつしかこの碑文が、カープ投手陣の道標となった。ブルペンからマウンドに向かう投手はこのプレートに手をかざし、心を奮い立たせてから相手打者に立ち向かった。このプレートはその後、マツダスタジアムに移設され、今も同じ役割を果たしている。
カープ在籍10年間の成績は、286試合に登板して49勝41敗90セーブ、防御率3.31。ただ、プロ野球の投手というのは、残した記録のみで評価されるものではない。それは人々の記憶にどれだけ深く刻み込まれたかによって決まる。
カープ投手にとって、今年も忘れずにやってくる「7月20日」は、特別な日なのである。
(迫勝則/作家)
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